級友達の話
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■ 中学時代の級友の話
「中学2年まではクラスで1番。3年になって、わざと怠けたフシもあっ て少し落ちた。」 「彼は授業時間に冗談を言って笑わせる教師をひどく軽蔑していた。生徒 をとりこにしようとしてくだらない冗談を言う、と。彼はお祖母さんの悪 口をいつも言っていた。お母さんのことについても、母親としてろくな世 話をやかないくせに・・・といった不満はもらしていました。彼の鉛筆を かむクセは、それは壮烈なものだったなあ。そのため、彼の持っている鉛 筆はすべてシンがむき出しになり、しかも根本までかみくだかれ、引きち ぎられたものばかり・・・」 「学級委員をやってくれと頼んでも断る。体育の時間は一人校庭の隅にい る。成績は優秀なのだが、人にあわせることができなかったみたい。おば あちゃんがうるさいと1、2度聞いたことがある。たまにあっても推理小 説の話とか推理映画の話しか興味がなかったようだ」 「僕は東大なんか行かないで、早稲田か慶應に行き、一生平社員(と泉少 年が言っていた)。」 長崎某君(桜丘中学時代からの第一の親友)
「1月11日に会ったのですが、ふだんと別に変わったところは感じませ んでした。新聞には『友達がいなかった』と書いてありましたが、クラス では好かれていたし明るかったです。ただ、深く付き合うことはしません でした。 彼は学校が終わるとすぐ帰って、塾に行くのです。だから中川君(旧姓) を見るときはいつもカバンを持っている姿でした。 彼が好きなことと言えばSFとか推理小説など、本を読むことと映画を 見ること、それに欽ちゃんがDJをやっているラジオ番組が好きで、よく 何か書いて葉書を出していたようです。 勉強は数学が得意で、ほかの成績も学年で『何番』とかよく出ていまし た。ただスポーツは苦手でダメでした。 家のことについてはほとんど喋らず、離婚したことも他の人から聞いて 知ったほどでした。ただ『おばあちゃんはうるさいから嫌いだ』と言って いました。中川君の部屋はおばあちゃんの部屋の隣で移りたがっていまし た。 部屋は6畳
(* 新聞では4畳半)
で、ベッドと机と棚があるだけ。い つも読んでいるわりには本は少なく、前に『家の人に本を焼かれる』と言 っていましたから、そうなのかな、と思ってました。 壁には大学ノートくらいの大きさで『ばかやろう』と落書きがしてあり、 ステレオとかポスターと、ゲームなんか何もないんです。歌謡曲なんかも 好きではなかったのか、たとえば山口百恵だったら『プレイバック』、ピ ンクレディーは『UFO』というくらいは、僕等だったら顔とすぐ一致す るけど、中川君にはわからなかったようです。 家のことをどう思っていたのかは・・・ただ中学の修学旅行で東北に行 ったとき、彼一人だけ土産を家族に買っていかなかったことを覚えていま す。
(* そもそも修学旅行自体不参加だった)」
匿名希望(中学時代の同級生)
「3年の終わり頃だったか自分で書いた小説を見せてくれました。文章も 筒井康隆そっくりで、主人公の泉少年は全国の高校をピラミッド型に分け る。灘高、ラサール、開成、麻布など東大進学で有名な15校が『エリー ト校』。慶応志木、慶応日吉、早大学院などが準エリート校。 そして『偏差値66以下は人間じゃない』というのが泉少年で(原注 現実にもそう発言。彼自身は70)、勉強のできない子の親が『人間は勉 強だけがすべてではない、その人間性が問題だ』というのに対して『いや、 勉強だけがすべてだ』と言ってのける(原注 これは開成高校生の両親が 乱暴する息子をころした事件で出るセリフだが、ノート
(* 遺書のこと)
の中にはこの事件についてもふれている)、そんな内容のものでした。 家のことは『学校に来ている間におばあちゃんが部屋に入ったり、机の 中をかき回す』という話をしていました。それを確認するために、『ドア と引き出しに紙をはさんでおいたら、やはり落ちていた』とも言っていま した。部屋にいるときも、おばあちゃんが時々のぞきに来るので、ドアに 背を向けていてもすぐ分かるように、ドアにおもちゃの手(車の後ろにつ けて手を振るオモチャ)をくっつけて、机の上に鏡を置いて、ドアが開く のが分かるようにしていたそうです。 『キネマ旬報』もよく読んでいましたが、家族の前では読めないという ので、参考書の表紙をくっつけていました お母さんについては、津田塾大を出ているそうですが、『父親に対して 許すところがない』と言っていました。 お父さんについては、お母さんが『勉強、勉強!』というとき、そばに いても『そう勉強ばかり言うな』と言うわけでもなく、ただ『しようがな い』と見てるだけだとも言っていました。 中学時代の教科書の余白には、先生の悪口がたくさん書いてあります。 それから泉は自分で負けるとわかっていたから、ケンカは絶対にやらな かった。暴力を極端に恐れていて『殴られるより、罵倒される方がいい』 と言うので、彼はおかしいんじゃないかと思ったことがあります。 それから泉の家では猫を飼っていたんですが、その猫が死んで、妹とお 母さんが泣いているのを見て、『おかしくて2階の部屋に行ってクスクス 笑ったよ。ざまあみろ!と言ってやった』と僕らに話してくれました。 女性についてはガールフレンドもいなかったようですし、嫌悪感を持っ ていたようです。『女のくせにタバコを吸いやがって』とよく言っていま した。お母さんもタバコを吸うらしいのですが・・・・とくかくあいつだ ったら、もしかしたらお祖母さんを笑いながら殺したのかもしれません。 3年生のとき、だいぶ痩せてきたことがありました。『何か食べてんの か?』と聞くと、『いや、何も食べてない』と言うんです。給食のときも 牛乳を飲むだけで、あとはおかずを箸でかき回して遊んでいるんです。そ れで恐ろしいほど痩せていました。何かあって、自分の体を虐めていたん だと思います。」
「同級生の一人は、少年が自分を描いた漫画の中で、次のような言葉のや りとりを書いていることを覚えている。 少年 偏差値66以下は人間じゃない。 父母 勉強だけがすべてではない。人間性が大切だ。 少年 ばかやろう。勉強さえできればいいんだ。」 小坂某君(中学時代の級友)
「早稲田と開成と慶応を受験したようですが
(* 開成は受験しなかった)
慶応は失敗したようです。 家の人は都立戸山高校に行かせたがっていたようですが、彼はそれを嫌 っていたようです。そのために中3の2学期になるとわざと勉強をせず、 音楽の試験なんか、当日の朝、学校でやるくらいでした。 『将来はヒラのサラリーマンになるんだ』と言うので、なぜだと聞くと、 『家族の老後の面倒は何もできない、自分は無力だと教えておくためだ』 と言うんです。つまり期待しないで欲しいと言いたかったんです。彼は気 楽になれるところがなかったと思うんです。 部屋で小説などを読むと叱られるので、ふとんを頭からかぶって、懐中 電灯で読んでいると言っていましたし・・・・。 お祖母ちゃんのことは『お母さま上』とか『おばあさま上』と呼んでい ましたが、服装にも厳しかったようで、夏は水色のカーディガン、冬は紺 色のタートルネックと決まっていました。 父親の話は一度もしませんでした。受験の方はお母さんが一生懸命で、 慶応受験の時も一緒についてきていました。」
K君(桜丘中学時代の同級生 青山学院高等部1年)
「筒井康隆が好きで手紙を出していたし、あの人をけなすようなフィーリ ングがいいといってました。」
N君(桜丘中学時代の同級生 駒沢大付属高1年)
「彼はドア一枚向こうから監視されてるんだとよく冗談とも本気ともつか ず僕らに話していたな。小説が好きなんだけど彼の周囲には本が少なかっ たのでそのわけを尋ねると『小説はくだらないからとおばあちゃんに取り 上げられて焼かれちゃうんだ』とこぼしていたな。父親のことはたった一 度も自分から話してくれたことがなかったんで、僕など中学の卒業名簿が 中川泉から朝倉姓に変わっていたのをヘンだなと思っていたくらい。両親 の離婚が彼にどんな影響を与えたのかわからない。おじいちゃんが大学教 授なのも気にしていたみたいだ。」
中学2年ごろまでは、漫画を描くのが好きで、知人らとよくお喋りする明 るい男の子だった。それが中学3年生になるとめっきり口数が少なくなり、 言葉が荒れ始めた。
■ 高校の級友の話
「ビックリした。彼の心持は分かるけど、何か相談してくれればね、2学 期の成績も上がったなんて喜んでいたくらいだから、まさかこんなことを するとは思いませんでした。え、彼が大衆は馬鹿だからエリートが殺して も構わないという考えには反対です。」
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担任の話