「遺書」 朝倉 泉 第五章
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第五章 最近ふえはじめた青少年の自殺について
いままで私が書いてきたような大衆・家族のいやらしさから出た計略は
彼等が意識して論理的に組み立てたものではなく、半ば無意識的に、すな
わち感覚的に考え出したものだ。そしてそのいやらしさを感じる側も論理
的に分析して、いやらしいと思うのではなく、無意識的・直感的にいやら
しいと感じる。感覚から感覚へ、である。だからこのいやらしさを言葉、
すなわち論理で表すのは実にむつかしい。感覚的・直感的に生み出された
計略・行動が実に複雑な構造を持っているからだ。そういうわけで「ムシ
がすかない」などというような言葉もできたのである。論理では表せない
が感覚的にいやだというわけだ。ちかごろ原因不明、あるいはちょっとし
た出来事(たとえばテレビをみるのを禁じられたなどという事)から自殺
する若者が多いが、これは最近の若者の大きな特徴であるナイーブさが、
私がこれまで述べてきたような大人のいやらしさを敏感に感じとり、それ
に精神を圧迫され、しかもその腹立たしさを表現することができないとい
うことから来たやりきれなさが加わって、非常に痛めつけられていた精神
がその小さな出来事によってついに忍耐の限界をこえた結果に生じたもの
だと考えられないだろうか。そう考えると最近の自殺に遺書が少ないとい
うことの説明もつく。遺書を書かないのではなく書けないのである。自分
でもはっきりした自殺の理由がわかっていないのではないか。私は憎悪に
ささえられてなんとか大衆のみにくさを表現した。「なんとか」でこれだ
けの量になったのである。遺書が少なくなるのもうなずけるではないか。
私はどうしても自分だけの力でこれだけのものを書いたのだという気がし
ない。愚鈍な大衆の無神経さに押しつぶされて死んでいった神経質な人間
の霊が地獄の底からはいあがってきて私に力を与えてくれたような気がし
てならない。あの開成高生をはじめとするこういう人達の復讐のためにも、
私は低能な大衆を一人でも多く殺さなければならない。
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