その後への影響 (筒井康隆、小林よしのり)
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■ 筒井康隆について
遺書中に書かれてある「ある小説家」とは、筒井康隆である。朝倉泉は 筒井康隆の本をほとんど読んでおり、相当のシンパシーを覚えていたもの と考えられる。朝倉泉の遺書および友人の話からすれば、筒井康隆は、朝 泉から、何通か手紙を送られているようにも思われる。 筒井康隆が、朝倉泉に対してどう思ったかは、参照のとおり。一言で 言えば、大人の反応である。
参考
■ 小林よしのりについて
朝倉泉は、小林よしのりが当時「少年ジャンプ」で連載していた「東大 一直線」を愛読していた。このことは報道され、小林よしのりも知ってい た。朝倉泉は、この「東大一直線」からも、少なからず感銘を受けたもの と思われるが、逆に小林よしのりも、朝倉泉に対しては一方ならぬ衝撃を 受けたものと考えられる。というのも、平成何年かのSPA誌「ゴーマニ ズム宣言」(当時)で、朝倉泉のことが書かれているからである。 当時、筒井康隆は「てんかん」発言でどこかの団体と問題になっており (資料補充予定)、なにかの集会で小林よしのりは筒井康隆とホテルのロ ビーで喋った。その時の様子を書いたゴーマニズム宣言で、まったく唐突 に、朝倉泉のことが書かれている。 「筒井康隆と喋っていて、あのエリート高校生のことを思いだした。彼は、 筒井康隆と小林よしのりを愛読していたらしい。今この二人が話している ことを、彼は地獄でどう思っているだろうか」(趣旨)。 小林よしのりは、筒井と会っただけで、なんの脈絡もなく、とっさに 10年以上昔のあの事件のことを思い浮かべているのである。 (資料補充予定)
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