朝倉泉 年表
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小学生時代
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中学1年生
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中学2年生
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中学3年生
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高校1年生
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1979年事件前
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事件当日
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事件後
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■ 誕生前
母、祖父の紹介で父と結婚を前提に付き合いを始める。 しかしどうしても結婚に踏み切れず、結婚を断る。 父、自殺未遂をおこす。母、不本意ながら結婚。 泉誕生の8ヶ月前に、父親が世田谷区の家に転入届を出す。
■ 誕生から幼年時代
1962年7月19日午前11時39分 泉 誕生。
幼年期は「オズミちゃん」と母親から呼ばれていた。
(母「還らぬ息子泉へ」より)
ママが機嫌が悪くて、「泉、うるさい。あっちへ行って!」 と怒鳴ると、部屋の隅にできるだけ小さくなって張りついて、 「この辺でいい?」 と真剣な顔で聞いていたあなた。途端に、胸がキューッと なるほど後悔し、あなたを抱きしめましたっけ。 「ボクが一番うれしいのは、ママが『オズミちゃん(小さい 時の呼び名)、こっちへおいで』っていう時だよ」 と、おばあちゃまに言ったというあなた。ママの仕種をいち いち真似て、「ボク、ママ」と得意そうな顔をしたあなた。
1966年
母、流産する。
■ 幼稚園時代
1967年 幼稚園入園。
幼稚園に行くのを嫌がる。 「幼稚園はいや、学校はどうも好きじゃない。お友達もきらい。 先生もきらい」 幼稚園の時におはなしを書く。
「ねこのままはいいました ねこ おともだちとあそびなさい ねこのこどもはいいました いやだい ぼくはままといしょにいたいんだい とゆうと いつものように ままにくついてしまいました こら ねこのままはおこりました ひゃー ねこのこどもはびくりして とびあがりました」
(この後、「こねこ」がパパねことママねこに、いうことを聞かない罰と して、嫌いなはるさめを食べろと言われたり、早く寝ろと言われて強情 をはり、一人夜中まで起きていたりする話が続く。)
5月末
はじめての遠足。
新入園児の中で同伴者がいないのは泉一人だった。
夏
妹誕生
母親が妹の世話に追われたことことも重なり、泉の世話は祖母がするよう になる。
1968年
父と母との間に子供が出来るが、母の体調不良のため中絶される。
時期不明
「泉ちゃんの寝顔はコケシ人形のようだ」と言われる。
■ 小学生時代
1年
1年生のときの硬筆の書き初め。 祖母の指導のもと、何時間も机の上に座って書き上げる。
2年
父親、フランスへ2年間留学する。 近所の子供に金を脅し取られそうになる。
(母「還らぬ息子泉へ」より)
「小学校の1年生か2年生の時、近所に不良っぽい子が いたんです。同じ学校の6年生で、その子達に、家か らお金を持ち出してこいと言われたのですね。お金を 持ち出していくのを見つけられたのです。1万円でし た。 小学生が1万円といえば、ずいぶん大金ですから 「どうしたの」と聞きましたら、お金を持って来なきゃ 遊んでやらないとかなんとかと言うことだったのです。」 (母)
3年〜4年
「教室に迷い込んできた雀をどうするか」という教師の問いに、 「俺だったら焼いて食っちゃう」と答えた生徒に、シンパシーを覚える。 担任の女教師から「今からそんなことを言う子はよくない」と説教され、 ますますその教師を嫌うようになる。
4年
父親、帰国。
父親、帰国後すぐに胃の大手術をする。 胃潰瘍のため、かなり父親は痩せる。
5年
(母「還らぬ息子泉へ」より)
「5、6年のときは大変男らしい先生で、私、ああいう 先生の感化を受けてくれればいいなあ、泉はちょっと 女性的だからなあ、なんて思っていたんですけれども、 そういうのもまた、きらいなんですね。何にでもびっ と反発しちゃうような、不思議なところがありまして。」
6年
仲の良い友人が私立中学を受験するため塾に行っているのを見て、 自らの希望で日本進学教室へ通い始める。 学校では成績が良かったが、最初のテストで数学が5点で驚く。 その後勉強し、成績が上がる。 日光へ修学旅行。 鶴と亀の置物を母のために買う。 母は、祖母に対して泉が何も買ってこなかったことを気使い、 「おばあちゃんにもってったら」と言うと、泉、祖母に土産を渡す。
参考
読書傾向は、江戸川乱歩。その後、小林信彦。 塾の教師に「この成績なら大丈夫」と言われ私立桐朋中学受験するも失敗。
時期不明(事件から5年前)
家を改築。 それまで別棟に住んでいたが祖母達と一緒に暮らすようになる。 祖母は、泉の隣室を自分の部屋に選び、自由に出入りできるよ うに壁に特別の引き戸を作るように注文。
参考
■ 中学1年生
4月
世田谷区立桜ヶ丘中学入学
よく勉強し、体育以外は5段階評価で5が並ぶような状態。 教師達から可愛がられる。
6月
家庭訪問
担任の教師 「勉強はよくできるし、明るいし、何も言うことはありません。 強いて言えば、授業中のおしゃべりが過ぎるようだけど」
2学期
教師から「うるさくてかなわない」と言われるほど授業中ヤジを飛ばし、 授業を引っかき回すようなことをする。
(母「還らぬ息子泉へ」より)
「どっちかというとあのクラスは、非行少年じゃなくて、 (勉強の)出来るこどもがクラスの中で目立って悪かった、 と。3、4人、そういうのがおりまして、勉強は出来る んです。ただ、授業をかき回すような、先生を馬鹿にす ると言うような態度をとるというので、先生の方として は、どうもあいつらは、試験をやれば出来るんだし、な にを聞いても答えられるから、何とも言いようがないと いうようなことを1年の終わりにちらっと聞きました。」
文化祭
教師から「(顔が)母親そっくりだな」と言われ、喜んで母親に報告する。
時期不明
母に連れられて、日生劇場に「リア王」を見に行く。 観劇後、「舞台の芝居ってすごいんだね」とため息混じりに何度も言う。 泉
「英語で "大使″のこと何ていうか知ってる?」
母 「もちろんよ。 "ambassador" でしょ?」 泉
「チェッ!知ってやがるのか」
(ゲンナリした調子で)
■ 中学2年
時期不明
「人生論」を書く。
「努力せよ」 「目標を達成するために」 「苦しくても一生懸命に努力することは、人生を大切に生きることだ。 人生がダイナミックになることだ。」 「たった一度の人生を一生懸命に、必死に生きるなんて、すばらしい ことだ」
学校の授業に見切りをつける。 教科書の落書きを多くする。 風邪で休んだとき、
「僕が行かないと、あのクラスは、今日は火が 消えたように寂しくなっているなあ」
と、母に言う。 母、泉と同級の女子生徒から「彼は本当に面白いのよ。頭は良いし、 勉強は出来るし、あんなに明るくて」と聞かされる。 休み時間も教室に残るようになる。 別のクラスの男子生徒から「勉強ができると思っていい気になるな」 「家が良いからっていい気になるな」「受験に落ちたくせに」と、 殴れられかかる。 母は父母会で、「かなり、あれ(泉らグループの授業中のヤジ)は ちょっと困る。勉強が出来ても人間的に問題のあるような子がいる」 と言われる。
夏
水泳大会に不参加。
秋
ふざけいて(あるいは故意に)教室のガラスを割る。ホームルームで話題 に取り上げられるが、教室の床がでこぼこになっているため、靴の先を引 っかけて倒れたはずみに割った」と弁解するも、クラスの人間の批判あり。 クラス全員でガラス代を負担しようという申し出に対し、
「自分一人で払 う。払やいいんだろう」
(趣旨)ということを言い、クラス中の怒りを買 う。 オーメン人形を制作(詳細不明)
参考
遠足。 帰りのバスの中で、他の学友が眠るのを見て、小説「みんな死んだ」を書く。 (あらすじ:次々と眠る同級生に対し、
「Oが死んだ」「Uが死んだ」 「最後にバスの運転手が眠ってみんな死んだ」
)
参考
筒井康隆の本を読みふける。 「乱調文学大辞典」を母親に勧め、「面白い」と言われる。 「家族八景」を勧め、「面白くない」と言われる。
(母 「週刊朝日」より)
「ママ、これ読んだことある、おもしろいから読んで ごらんよ」と言うんです。 筒井康隆さんの「家族八景」という本でした。超能 力を持つ女の子が、いろんな家族の家に行って、家族 の一人一人の心の中をのぞくと、家族になっていなが ら、みんな、それぞれお腹の中で反発しあい、憎みあ い、よからぬことを思っているというわけですね。 そういう短編が8つ入っているんです。不愉快な感 じのする本でしたね。私は、最初の4つくらいまで読 んで、「どうだ」と聞かれましたので、「おもしろく ない」と言ったんです。そうしたら、すごく不満そう でした。 で、私、「面白いかも知れないけれど、どうも、あ の本は、あんたがもう少し、いろんな本をいっぱい読 んだうえで読むといいんじゃないかしら。なんにも知 らない人があれを読むと、ちょっと・・・・。だって、人 間の汚いところばかりが目につくようになっちゃうで しょう」と言ったわけです。そうしたら彼、黙ってい ましたね。彼がぞっこん惚れ込んじゃっていた筒井康 隆に、私が反感を示したもので、かすかなズレがその 辺から出てきたわけです。」(母)
3月
高校受験のため、X学園に通う。一回で上級コースに合格する。 3回目の授業で英語主任の塾講師が、クラス全員200名の生徒の名前を 顔を覚えいることをすごい、すごい、という。
参考
X学園で、Fと親しくなる。 X学園に通う同じ中学の友人Eに、
「F君だけが俺の気持ちを解ってくれる。考え方が同じなんだ」
と語る。
時期不明
(朝倉千筆(母)「子持ち主婦がシナリオライターになるまで」より)
「上の子は中学2年生である。彼とは未だにスモウを取る。 拳銃の撃ち合いをする。テレビドラマを見ながらヤジを 飛ばし合う。百恵ちゃんの悲しいドラマが喜劇になる。 『たいして金にもならないのに、なぜやるんだよ、アホら しい』彼の質問はより現実的である。『好きなことをや って何かもらえるんだから、有難うってなもンよ』『へ え。じゃ、ボクに一割くれない?協力料』『笑わせンな い!ラーメン一つロクに作れもしないくせに』『ダメか!』 我家の親子関係はまことにうまくいっている。夫と子供 達、それにゴハンが遅れると足に噛みつく猫まで抱えて、 私の大奮戦はしばらく続きそうである。」
■ 中学3年
時期不明
(母「週刊朝日」より)
「学校へ行って、淀川長治さんのまねをしたり、タ モリの真似をしたりすると、実にうまくてみんな が喜ぶわけですね。すると、その瞬間だけ、自信 がつくわけです。自信がついた分野では、やけに めざましく、オーバーなくらい、自己表現が出来 るんですね。」 「(家の雰囲気は、)中学3年の2学期ぐらいまで、 私とはものすごくうまくいっていたのです。・・・・ 中学3年生になっても、日曜日の朝というと、私 のベッドにもぐりこんでくるわけですね。それで ぺらぺらぺらぺらと、あの映画の話は知っている かとか、この本の話を知っているかとか、1時間 でも2時間でも喋りまして、もういい加減によし なさいと言うと、「あと10分、あと10分」と こうなんです」
泉、ノートに母親批判を書く。
「目上の人にくってかかるなんて思い上りもはなはだしい。 しかも、それをいばってやっているのだから呆れてもの がいえない。困ったことに、母には才能がある。才能が なけりゃ、とっくに自滅しているところだ。いい気にな りやがって」(中学三年)
「女のくせにタバコを吸う」「女のくせに車を運転する」 と、友人に対し母親の批判をする。 詩「無題」を書く。
参照
6月
修学旅行をさぼる。 修学旅行の二日前に微熱を出す。これを理由に修学旅行を欠席する。
「X学園を1日として休むのは嫌だから」
と言い、
「I先生が憎い」 「Iの野郎死んじまえ」
と壁に書く。 母はその異様さに圧倒され、修学旅行欠席を許す。 修学旅行をさぼり、X学園に通う。 クラスから「あの家は修学旅行も行かせず、子供に勉強をさせている」と いう噂が広まる。 X学園に通う同級生Eに対し、
「勉強してない。勉強してない」 「5月の連休に一日中遊びほうけた日があった。そうしたら、急に勉強す るのが嫌になった」
6月末〜7月
一学期の期末試験の直前、父母の離婚の話を知る。 一学期の成績は以前に比べると落ち、担任から 「もう少しがんばってほしい」と言われる。 母、夏休み直前の個人面談で、クラス担任から職員室で泉の評判が 絶望的に悪いことを聞かされる。 「泉君とO君、P君が3年G組の3悪です」 (O、Pとも勉強の良くできる生徒。 Pは担任から、「朝倉やOみたいな奴の尻馬に乗っていると大変だぞ。 このままだと彼らの成績は二学期にグンと下がるはずだ」と言われる)。 「あの子達、憎たらしいったらありゃしない。態度の悪い子は2学期に 1ランクずつ(内申書の点数を)落としてやりましょう」 という話があった、と母親が聞く。
9月
父が家を出る。 泉、母に対し、
「早く離婚しちゃえよ、あんな奴。僕はちっともかまわないよ」 「親が離婚していると、どうしても将来不利になるんだってよ」
友人に対し、
「受験の前に離婚なんかしやがって」
(母「週刊朝日」より)
「泉は、父親に、小さいときからなつかない子供で、 中学生になってからは、1年間に何語と勘定でき るくらいしか、おそらく口をきいていないと思う んです。たまたま廊下で出会ったから「行ってき ます」と言うとか、「どうだった?」と聞かれる から「うん、まあまあ」とか、こういうようなや りとりですね。」
10月
協議離婚 届け出。理由は性格の不一致。 泉、朝倉姓に変わる。母、名前を改名。
10月30日
開成高校生絞殺事件がおこる。
参考
事件の切り抜きを集め、引き出しに入れる。 「ママに殺される!」という言葉をよく口にする。
時期不明
中学3年の二学期になったころ、祖母が家人に 「孫が口答えするようになった。反抗期なのか」という。 筒井康隆「大いなる助走」を「おもしろから読め」と母に勧める。
参考
X学園をさぼり、映画を見に行くようになる。 教科書に
「ああ、もうだめだよ」「50点を割っちゃうよ」
という 落書きをする。
2学期の終わり
「おばあちゃんには内緒だよ」と、母が塾帰りの泉を映画に連れていく。 母、祖母に叱られる。 おおっぴらに映画雑誌を広げるようになる。 祖母、母に対し、 「こんな大事なときに泉が映画雑誌ばかり見てるのは、お前の影響だ。 親だったら注意するのが当たり前じゃないか。たまには子供の部屋へ 行って、様子ぐらい見なさいよ」
母に筒井康隆の本を破られる。
2学期の内申書はがた落ちだった。(親が勧める都立高校入試を回避する ため、故意に落としたふしもある) 「2学期と1学期の差がこんなに開いた例は、私は30年間、教員をやっ ているけれども初めてだ。これでは都立がだめだから、私立にするほかは ありませんね」と言われる。
都立高校を諦め、志望を私立高校に絞る。
塾の成績もそれほどはよくなかった。 級友に「おれ早稲田行きてえ」「早稲田出てサラリーマンになりてえ」と言う。
参照
3学期
慶応高校、早稲田大学高等学院受験。 慶応高校は落ちるが、早大学院に合格。 慶応発表の後、祖母は母親に対ししきりに「慶応は卒業生とか、家庭を重 視するからねえ」と言った(離婚したことを責めている)。 祖母から新聞に載っていた都立高校入試の問題を 「ちょっと試しにやってごらん。何点ぐらい取れたか、やってごらんよ」 と言われ、激怒し、新聞を丸めて投げ捨てる。 小学校の同級生Qが、早大学院と戸山高校の両方に合格したことに対し、
「そりゃ戸山に決まってるじゃない。早稲田なんかに来るもんか」
と言う。 (Oは、都立一流高校、Pは、大学まで続いている私立高校に入学)
3月
桜丘中学卒業 卒業文集の一節
「みんな死んでしまえ。建物は壊れてしまえ」
春休み
受験から解放されても晴れ晴れとした顔はせず、ベッドで一日中 ごろごろしていた。
■ 高校1年生
4月
早稲田大学高等学院入学。
参照
毎日遅くまで机にかじりついて勉強する。 母「ほどほどにしたら?」 泉
「このくらいやらなきゃ、皆に追いつけない」
参考
5月
泉
「河合塾の入塾テストを受けたい」
母 「何でまた塾なんか行かなきゃならないの!」 泉
「塾へ行く気はない、実力を試したいだけだ」
結果は、合格で「現役で東大合格の望みあり」。
時期不明
祖母から朝日新聞に掲載されていた三田誠二(早稲田大学出身の 芥川賞受賞作家)の小説を読めと言われ、激怒のため、真っ青になる。
「僕はいやだ。どうしても読むのが嫌だ。おばあちゃんは、 俺の鼻先に、その新聞を押しつけた」
小田急線で一緒になった同級生Eに対し、
「最近ノイローゼ傾向が強くなって、自分で自分の指を傷つけたり、 大事なレコードを壊して喜んでいる」
剃刀で自ら指を傷つけ、母親にバンドエイドを貼ってもらう。
「うっかり切ったんだよ」
教科書に載っていた太宰治を読み、傾倒し、何冊も読む。 長編漫画「学校が塾にかなうはずないじゃないか」を作る。 前文に太宰治の文を掲げる。
(母「還らぬ息子泉へ」より)
高校に入ってからひとしきり、あなたが太宰を読んでいた ことは知っていました。・・・・教科書に太宰が出てくるやい なや、あなたはその虜になり、何冊も太宰の本を読んだあ げく、「一時は、すぐにでも自殺するんじゃないかと、ボ クが思った」ほど、深刻な状態にあったというのです。 そういえば、あなたが書いた長編マンガ「学校が塾にか なうはずがないじゃないか」の巻頭句に、太宰の引用があ りました。 「人間はみな同じものだ。これは一体思想でしょうか。僕 は、この不思議な言葉を発明した人は、宗教家でも、哲学 者でも、芸術家でもないように思います。民衆の酒場から わいて出た言葉です。蛆がわくように・・・・(中略) ただのイライラです。嫉妬です。思想でも何でもありやし ないんです」 どこか、あなたの遺書を彷彿とさせる文章ではありませ んか。しかし、あなたの太宰熱は、一学期の間におさまっ たといいます。再びG君の話。 「夏休みに会ったら、『やっぱり筒井康隆だ』といってい たので、ああ、もう大丈夫だなと思いました」
成績 平均より上だった。 祖母、何回も「泉を養子にしたい」と母に言う。
7月10日過ぎ
夏休み始まる。 「カーディガンを着て行け」と祖母に言われる。 「英会話学校に行け」と祖母に言われる。 祖母との口論の様子をテープに取り、母に聞かす。 母は祖母に抗議するが、効果なし。
参考
食事をせずに痩せてくる。
夏の終わり
中学の同級生Eに会う。細くなった腕を突き出し
「僕、こんなに痩せたよ」 「俺、自殺しようと思うんだ。今、死に方を研究しているんだよ。 新聞にでっかく出るような死に方って何かな」
と朗らかに言う。あっけらかんと言われたので、Eは冗談かと思う。 理工学部に入学して爆弾を作り大量殺人を行う旨の計画を立てる。 数学、物理、化学の勉強に力を入れる。
時期不明
母 「あんた、何、悪ぶっているのよ。人間が汚いなんてニヒルになるのが かっこいいとでも思っているの?」 泉
「人間の汚いところが見えるってことはさ、とっても不幸なことなんだ よ、ママ」
2学期 11月下旬
2月10、11、12日に犯行を実行するように計画変更。 同級生達に「人を殺したらどうだろうか」と言う。
2学期終了
2学期の成績が上の中の成績で喜ぶ。
12月28日
田宮二郎自殺に驚く。
参照
12月24日
母親から、クリスマスプレゼントとしてお金と、12月24日から1月1 日までちいさなお菓子が毎日ついたカレンダーをもらう。袋を一度に全部 開け、喜ぶ。
■ 1979年(昭和54年)
正月
(親戚に?)「泉君よく食べるね、ずいぶん身長が伸びたね」と言われる。 金づちを購入。 祖母の目の前で自分の机を金づちで叩く。 泉
「学校で工作するために買った。でもこんな大きな音がするのでは、 おじいちゃんがいるときは使えないなあ」
祖母「そうね。」
1月8日(月曜日)
学校始まる。かなりあった貯金を使い切り、残高は0円。 母 「子供があんまりお金を持ちすぎるのはよくないわねえ。 ムダ遣いしないで貯金しなさいよ。今に、お友達と旅 行なんかへ行くかもしれないじゃない。」 泉
「ああ、もちろん貯金したよ。」
1月9日(火曜日)
この日から学校へ15分早く行き、学校のコピー機で遺書のコピーを3通ずつ取る。 母 「どうして」 泉
「暖房の当番だ」
泉
「日本で大きな新聞社っていうとどこかな、やっぱり朝日と毎日と読売でしょ」
母 「東京新聞なんかもあるわよ」 泉
「指紋から大人と子供の区別がつくの」
母 「区別つくでしょ。でもなによ、あんた推理小説でも書いてんの」
1月10日(水曜日)
泉
「早く起きるのは、明日で終わりだよ」
母 「暖かいときに(暖房の)当番が当たってよかったじゃない。もうすぐ 寒くなるっていうから。」 午後11時
遺書
完成。
1月11日(木曜日)
友人と会う。とくだん変化なし。
1月13日(土曜日)
母 「泉、雪よ」 泉 (驚く)
「ええ!」
雨靴を履いていくように言われ、普段は履かない雨靴を履いて学校に行く。 泉 (妹に)
「トランプしてやろうか」
トランプをする。 夕食のビーフシチュー(好物)を、おかわりをする。 泉 (風呂に入った後、こたつで仕事をしている母に対して)
「雪、まだ降っている?」
母 「知らないよ。窓からちょっと見りゃわかるじゃない。」
■ 事件当日 1月14日(日曜日)
10時過ぎ
起床。牛乳を一杯飲む。 泉 (11時頃、昼食になにを食べるか聞きに来た母に対し)
「おもち」
母 「あれ、今日は(おばあちゃんが)お寺へ行く日じゃなかったかな、も う行っちゃったのかしら」 泉
「いるよ。今日じゃないんだって」
母 「へぇ、いつ変わったんだろう」
11時20分ころ
母、妹と2人で昼食。 2階の自室から下りて、一階で餅を3個食べ、10分後に2階の自室に戻る。
11時40分ころ
祖母を殺す。 はっきりとした傷は5ヶ所。金づち、キリ、果物ナイフの凶器は3つとも使用。
前頭部を、金づちで、2回以上陥没するほど殴る。 右後頭部(首)を、果物ナイフで、深さ8センチ、長さ10センチに渡り、 えぐるように切り込む。一ヶ所、キリで刺す。 額を、果物ナイフで、約10〜20センチのの長さで横に切る。 右のてのひらにもうっすらと切り傷をつける。
現場には、共通一次(現在の共通テスト)の問題の載った新聞が散乱。 泉の自室では、テープレコーダーが回しっぱなしだった。
11時40分から45分ころ
泉、2階から駆け下り、玄関から外に出る。 祖父は、廊下を一つ隔てた書斎で調べもの(読書)中であった。 何か争うような物音、その後階段を駆け足で下りていく音を聞いた。 祖父が隣室を開けてみたところ、6畳の祖母の部屋には寝室は血痕が 飛び散り、祖母が祖父の書斎に通じるドアのノブに手を掛けるように して倒れていた(逃げようとした形跡があった)。 そばには血の付いた金ヅチ、キリ、果物ナイフがあった。 祖母は、「孫の泉にやられました」と言った後、すぐに意識を失った。 母、妹に対し 「お兄ちゃんたら、またあんな乱暴な音たてて。静かにしなさいって言わなくちゃ」 泉、玄関の方で叫ぶ。
「うわーっ」
母と妹は、声の主が泉だとは気付かず、酔っぱらいか近所に住む頭の弱い子かと思い、 顔を見合わせる。 「何あれ?」 泉、更に2,3度、叫ぶ。
「うわーっ」
泉、その後、経堂ビルに向かう。 祖父、「妻が刺されました」と救急車に通報。 母、悪い予感がして、門の外まで出るが、何も変わったことがない。 母、妹に対し 「お兄ちゃんが、部屋にいるかどうか、見にきてくれない?」 妹、二階に上がり、すぐ下りてくる。 妹 「ママ!おばあちゃんが死んでる!血だらけになって死んでる!」 母 「早く救急車!」 祖父「もう呼んだ」 母 「どうしたの!どうしたの?これ、どうしてこんなことになったの?」 祖父「泉がやったんだ。ママがさっき、そう言った」 救急車到着。 母 「早く!早く!早く!」 祖母、かすかに唇を動かす。 祖母、救急車で近くの病院に収容。母、同乗。 母「ママ、死なないでよ。泉のためにも死なないでよ」 通報により、成城署は、泉を探す。 泉、駅に行く途中で畑の中に、着ていた裏の取れた古いジャンパーを脱ぎ捨てる。
12時17分
泉、約3キロ離れた世田谷区経堂2−1−26、小田急線北口の 小田急電鉄経堂ビル14階のゴミ置き場の窓から飛び降りる。 ビル3階の屋根部分に全身を叩きつけられ全身打撲で即死状態。
参照
「死体検案書」 死亡年月日 昭和54年1月14日午後0時18分頃 直接死因 脳挫滅 即死 手段及び状況 14階よりとびおりる(27.9米)
12時30分
祖母、出血多量のため病院において死亡。 母は電話で自宅にいる妹に、祖母の死亡を伝える。 警察、自宅を調べる。
12時32分ころ
小田急経堂ビル4階住民から、北沢署に 「4階の屋根で若い男が死んでいる」との通報。 調べで泉と判明。
(14階住民の話)
「お昼ごろ見たらバケツがひっくり返ってゴミが下から 出ているんです。それを踏み台にしたんですね。窓か ら下を見たら4階の屋上に死体が見えました。白のと っくりセーター、ブルーのズボン、ズックの靴で仰向 けに倒れていました。左の額から顔一面に血が流れて いました。」 「14階に紺のとっくりセーターが残されていた」 「青いとっくりセーターを着用」
泉の遺体、北沢署に送られる。 母、遺体安置室で泉の死体を確認。
(母「還らぬ息子泉へ」より)
泉はすでに白木の棺に納められ、私の前に引き出されてきました。 よくドラマで見るような、立派な部屋の中でではありません。私達が その部屋に入らないうちに、お棺の方が戸口に来たのです。私は さんさんと降りそそぐ太陽の下で、間口一間ほどの戸口のふちまで 運ばれてきた泉と対面したのでした。 棺の小さな扉が開かれ、思いがけずきれいな泉の顔が現れました。 ところどころに血痕がついているだけで、いつもの白いトックリの セーターを着たままのその姿は眠っているようです。
15時ころ
母、成城署に着いて取り調べを受ける。
16時ころ
お茶の水女子大学で共通1次試験の試験の監督官をしていた父が事件を知る。 何回か自宅に電話するもつながらず。
19時ころ
母、取り調べ終わる。 母 「ごめんね」 妹 「お兄ちゃんは?」 母 「お兄ちゃんね、死んじゃった」 妹、顔を歪ませて下を向く。 祖父はまだ取り調べを受けている。 ずっと成城署にいた妹と自宅に帰る。 母、自宅に帰り、妹と共に、2階の掃除をする。 北沢署から、遺体を引き取ってくれという電話がある。 父から電話がある。 父 「何度か電話したけど留守だったから」 母 「聞いたんでしょ!」 父 「うん、4時頃」 母 「・・・・(ムカムカして声も出ない)」 父 「それで・・・・どうするの?」 (母、電話を叩ききる。)
■ その後
1月15日(月曜日)
成城署、泉自室から、
遺書
、
テープ
等を発見。
事件を担当した東京・世田谷の成城署の署長が、 「故人の遺志に従い」・・・・Aの遺書を読み上げ、 各新聞社の第一線記者は3時間ほどかけて署長 の朗読する内容を書き写したとのことだ。
1月17日(水曜日)
代々幡葬儀場で告別式。喪主は祖父。 祖父と母親、妹の3人が、最前列に並んで座った。 父親は参列者の一人として、焼香。出棺の際、棺を持った。 葬儀は祖母と共に行われ、祭壇には二人の顔写真が並べられていた。
参考
(祖父、葬儀の場で)
「今感想なんて・・・・(と絶句)。どうしてこんなことに なったんだろう。わからないんだ。祖母に愛されることが 泉には苦痛だったなんて、どうしてなんだ?」
1月18日(木曜日)
成城署が、ノートの主要部分を公表。 公表されたのは、第一章「総括」、第二章「大衆・劣等生のいやらしさ」、 第5章「最近ふえはじめた青少年の自殺について」。 第3章「祖母」「母」、第4章「妹」についての記述は、プライバシーの 問題もあるとして公表が差し控えられた。
1989年
(近所の住民の話)
「おじいちゃんはあの家には住んでおりません。お母さまだけ ひとりで暮らしているようです。妹さんは海外に留学中らし く、この夏には顔も見ましたが、近所付き合いはほとんどし ていませんので・・・・」(近所の人の話)
祖父は、千葉県所在の「太陽・・・・」(おそらく老人ホーム)に住んでいた。
1995年
「近所の人の話では、母親や祖父は引っ越してここにはいない という。」
■ 現在
自宅
家は取り壊され、住宅街のその場所だけ、ぽっかり穴が開いたように 駐車場になっている。
経堂アパート
以前は、管理人室の前を通ることさえ厭わなければ、自由に入ることができた。 現在ではオートロック式になっており、住民以外入ることができない。
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