最後の夏
朝倉和泉著「還らぬ息子泉へ」から
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去年 − それは特別暑さの厳しい夏でした。7月の10日過ぎにはも う夏休みに入っていたというのに、あなたは遊ぶでもなく、勉強するでも なく、一日ベッドに寝ころがって本を読んでいました。よくまァあの暑い 部屋に一日中籠もっていられることよ、とあきれながらも、ママは放って おきました。(・・・・略・・・・) ところが、放っておけなかった人がいたのです。もちろん、おばあちゃ ま。受験まではそれでもひかえ目だった″口出し″が、高校入学とともに 再び激しくなっていました。泉は早大に入ることになった。こう決った瞬 間から、おばあちゃまの頭の中に、それを基盤としたあなたの将来の青写 真が引かれ始めたのです。まるで家を新築する時のように嬉々として、あ あしたらどうだろう、こうしたらどうだろう。(・・・・略・・・・) ある日、二階から降りてきたあなたは、手に持っていたカーデイガンを、 いきなりママの坐っていた座ブトンの下につっ込みました。 「何?」
「これ、ボクが帰るまでここに隠しといてね。おばあちゃまが着てけって うるさいんだ」
「どうしていわないの、着ないって。もう高校生でしょ? いいたいこと は、いいなさいよ」
「面倒なんだよ。一言でも逆らってみろよ。あとで十も二十も文句いわれ るんだよ。そっちの方がよっぽど大変だよ」
万事がこの調子でした。おばあちゃまとあなたの間には、絶対服従の主 従関係がすでに確立していたのです。(・・・・略・・・・) おばあちゃまにとって、あなたはもう、自分の息子同然でした。「同然」 では気に入らなくて、「本当の」息子にしようとさえしていました。(・・ ・・略・・・・)あなたを養子にしたいと、何度となくママを説得に来て いたんですよね。そうすればあなたにも遺産をわけてやれるから、という のが理由でした。でもそれは理由の一部でしかない。あなたを名実ともに 自分の手中に収めるのが本当の目的だったんです。 ママは当然はねつけました。さすがのおばあちゃまも、これだけはどう にもなりません。養子縁組には「親」の承諾が必要でしたから。嫌味たっ ぷりに、「二十歳になれば、泉一人で決められるんだから」といい捨てて、 その話は一応棚上げになったようでした。二十歳になったら、どうなった ことか。恐ろしいことです。娘の大事な子供を取り上げようなんて。 離婚後、我が家の経済状態がひっ迫してきたことも、おばあちゃまにつ け入るスキを与えました。あなたの小遣い、昼食代を全部自分が負担する という。ママはこれも何度か拒否しました。それを理由に、泉に対するお ばあちゃまの権力をこれ以上増大させてはならないと思いました。しかし、 結局は例によって例のごとし − 娘は屈服させられ、その結果は恐れて いた通りになりました。あなたのあの遺書! 小遣いや昼金代をもらって いることが、あなたの「弱み」になったのです。(・・・・略・・・・) さて、そのあなたがゴロゴロしていた着い夏のある日、おばあちゃまが ママのところへやってきました。
「泉は何にもすることがなくて困ってるようだね。あんなにゴロゴロして いたんじゃしようがないから、英会話でも習いに行ったらっておじいち ゃまがいうんだけど、どう?」
「・・・・(また余計なお節介が始まった)」
「だって、あんなじゃしようがないでしょ?」
「講習会なんか行きたくないっていってたわよ」
「そりゃ、あなたの顔色をうかがってるのよ。また余計な出費になるんだ から」
「じゃ、行きたいっていってるわけ?」
「そうですよ!」
ママはムカムカしていました。やっと高校に入ったと思ったら、もう講 習会だなんて! でも河合塾の件もあったことだし、もしかすると行きた いのかもしれない・・・・。 そこで、ママはあなたに確かめました。お金のことなんか心配しちゃだ めよ。行きたいのなら行きなさい。あなたは吐き出すようにいいました。
「行きたくねえよ。誰がそんなところへ行くもんか!」
我が意を得たりとばかり、ママはすぐその答えを持っておばあちゃまの 所へ行き、そういうわけだから「泉は行かせない」旨、いつになくキッパ リといい渡しました。 おばあちゃまは断然それが気に入らなかった。自分の意志が通るまでご り押しを続けるいつもの習慣に従って、あなたの部屋に再三押しかけ、説 得を始めたのです。あなたはそのやり取りを全部テープに取り、ママに聞 かせました。めずらしく自分のことに深くかかわってきた母親に、ここぞ とばかり現状をみせつけて、自分の置かれている立場を知ってもらいたか ったのかもしれません。何とかしてくれと、救いを求めていたのかもしれ ません。 いつもは「おとなしい」母親も、今度ばかりは「ママはお金が惜しいか ら行かせたがらないんですよ」とか「おじいちゃまの孫として恥ずかしく ないの」とかいう言葉に、烈火のごとく怒りました。怒りは思いがけない 勇気を生むものです。おばあちゃまに向かって、抗議の言葉がポンポンと 飛び出しました。 「そうでなくたって今は一番親子関係がむずかしい時期なのよ。そんな時 に、わざわざ親子の間を裂くようなウソをつくなんてどういうつもり? むしろ執り成してくれるのが本当じゃないの。それを親の悪口を並べ立 てて反感を煽るようなことばっかりして! 泉に構うのもいい加減にし てよ。もう高枚生なんですからね!」 しばらく黙っていたおばあちゃまはいいました。
「泉によかれと思ってしたことだよ。それをどうだろう、バカバカしい! 泉の世話なんかやいたって、こっちには何のトクにもなりやしないんだ から」
「だったら、もうやめなさいよ!」 ピシャン!(これはドアの閉まる音) これでよし、胸の動悸を押さえながらママは思いました。いくらおばあ ちゃまでも、しばらくは鳴りをひそめるだろう。少しは反省もしてくれる だろう。あれだけ言ったんだもの。ところが、その日の夜には、彼女はも うあなたの部屋に入り込み、パジャマを替えろ、そっちじゃない、あっち だと指図を始めたのでした。 清水の舞台から飛びおりるつもりでした抗議が、ひとかけらの効果も上 げなかったと知った時の絶望感。あなたを取りもどすために打つ手は、も うないように思われました。あなたの失望はそれ以上だったに違いありま せん。この家で、おばあちゃまを制御できる者は、誰もいないのだという ことを確認してしまったから。おばあちゃまが死ぬまで、その腕の中から 逃れられないと知ってしまったから。 あなたが残した
テープ
によれば、今度の事件は、この夏休みの騒動が基 点になっているのだそうです。警察から、そう聞きました。
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