朝倉泉 遺書・シナリオ 解説
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発見された大学ノートは2冊。 1冊は4ページに渡って犯行計画(シナリオ)を、もう一冊には41 (42)ページにわたって、遺書が書かれていた。 『朝日』『毎日』『読売』の三新聞に宛てたかたちで書かれているが、 新聞社には送られずに家に置かれたままだった。原本は部屋にあったが、 3通のコピーは天井裏に、ボストンバッグの中に入れられてあった。その 横には、漫画「巨人の星」全巻が置かれていた。 事件当時、新聞・雑誌に発表されたのは、警察が原文から抜粋し(量的に は三分の一ぐらい)であった。 遺書は、黒のボールペンによって整った字体で書かれており、誤字・脱字 もほとんどなかった。部屋からは下書きも発見された。量的には、大学ノ ートに41あるいは42ページ(400字詰め原稿用紙にすると94枚、 文字にすると1万5000字)だった。 全体は6章からなるが、第3章は2つあるため、実際には7章である。 原稿用紙に換算した遺書の構成は、以下の通り。 (本多勝一著「子供たちの復讐」による。)
第一章 総括 (2枚) 第二章 大衆・劣等生のいやらしさ(46枚) 第三章 祖母 (27枚) 第三章 母 (12枚) 第四章 妹 (2枚) 第五章 最近ふえはじめた青少年の自殺について(2枚) 第六章 むすび (1枚) あとがき (2枚)
当初、「子供たちの復讐(下)」(朝日新聞社刊)に収録されていたが、 遺族の了承を得られなかったため(本多勝一に対する遺族の不信感から)、 現在では、朝倉和泉「還らぬ息子泉へ」(中央公論社)でしか読めない。 ただ、この本も絶版になっている可能性もある。(未調査) 遺書最後に「1976年1月10日」とあるのは、「1979年」の 誤りだと思われる。 遺書は、朝倉和泉著「帰らぬ息子泉へ」に依った。 テープは、週刊サンケイ1979年3月8日号に依った。 その他、以下の資料を参考にした。
週刊新潮 1979/1/25,2/1 週刊文春 1979/1/25, 1980/11/27 週刊明星 1979/1/28 週刊大衆 1979/2/1 週刊朝日 1979/2/2,2/23,3/16 週刊ポスト 1979/2/2, 1980/9/5 サンデー毎日 1979/2/4 週刊読売 1979/2/4 週刊女性 1979/2/8 週刊サンケイ 1979/2/8,3/8 女性自身 1979/2/8,10/18, 1989/10/10 微笑 1979/2/23 新鮮 1979/3 中央公論 1979/3 創 1979/5 少年補導 1979/7 文芸春秋 1979/12 諸君 1981/1 週刊現代 1995/1/17 毎日新聞 朝日新聞 読売新聞 日本経済新聞 朝倉和泉 「還らぬ息子泉へ」中公文庫 〃 「死にたいあなたへ」 本多勝一 「子供たちの復讐」朝日新聞社 筒井康隆 「トーク8」徳間文庫
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