開成高校生絞殺事件 [年表]  [同級生の話]  [読書傾向] [キカイダー]  [破滅の人生]  
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    ■ 概要、家族
      1977年10月30日午前0時頃、東京都北区で、父親が息子を 絞殺。開成高校2年生の息子の家庭内暴力に悩んだあげくの結果だ った。絞殺された開成高校生は佐藤健一君(16歳 以下敬称略)。 家族は父、母、母方の祖母、健一の4人。 父は宇都宮の小学校卒業。それ以後の学歴はない。小学校の教師を していた父の父親(健一にとっては祖父)は、父が2歳の時、28 歳で、鬱病のため自殺。6才の時、母親は再婚のため、彼と弟を父 方の実家に置いて去った。 昭和41年、神田に大衆酒易「とん八」を開いた。 母は高卒(当時では高学歴)。母の父(健一の祖父)は日通の元支 店長。健一はこの祖父を尊敬していた。 殺された佐藤健一君 (以下、敬称略) 佐藤健一君
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      昭和34年
        父母が結婚。父28歳、母26歳。母の実家で同居。
      幼稚園時代
         健一は、赤羽駅近くの騎士幼稚園に通う。
      42年4月 星美学園入学
         この地域の子どもが入る北区立志茂小学校に入らず、ミッション スクール星美学園(赤羽台4丁目)の小学校に入学。母が自動車で 送り迎えをする。  ミッションスクールにおいて、彼は常にクラスで1〜2番の成績 だった。  小学5、6年の時、有名な進学塾に通い、家庭教師もつけられた。  両親は当初、「開成学園」が何であるのかを知らなかったが、 教師は熱心に両親に「開成」への進学をすすめた。  健一は「開成以外の学校には行かない。開成こそ自分に合った学 校だ」と言っていた。
      昭和48年4月 開成中学入学。
        入学の成績は300人中56番。 開成中学入学時の新入生紹介の文集「1年生の顔」に 「医者になりたい」と書く。 1年の席次は300人中155番。 2年の席次は300人中178番。 中学3年ころから読書のため、部屋に閉じこもりがちとなる。 授業中は、ノートを取らずうつぶせになっていることが多かった。 3年の席次は300人中236番。
      50年3月 中学卒業
        卒業の3年2組の寄せ書きに「死こそわが友 佐藤」と書く。 寄せ書き 寄せ書き 中学卒業文集に「ペシミスト」と題する文章を書く。 「A  では君は生きんとする意志とでも言うようなものを    否定しながら、悲観的にはならないというのか  B  僕が否定したいのは、自分の足もとしか見えない生    への執着さ・・・・。理想のために生きてこそ初めて、魂    が救われることを云いたかった  A  それは少し甘いというものだ。初めから理想とやら    を追いまわすことのできるもの、として存在していな    ければ救われない。     そうなるためには努力や忍耐が必要で、それこそ君    が否定した『自分の足もとしか見ない生への執着』に    ほかならないではないか・・・・君はしょせんこの現実か    らにげようとしてる奴さ  B  反論の余地はないね。どうせ僕は無能なペシミストさ」 担任の教師が書いた卒業文集に寄せた各生徒の評 「3階の教室では事件も絶えず発生する。パニックの犠牲者、猫と  水成、クシャミの犠牲者、池田とゴキブリ、そのまた犠牲者、ワ  ンゲル顕太、トランプ中毒、横山、渡辺、ダンナと中村、シンナ  ー中毒その他大勢、皆いきいきと生きている。結構と言うべし。  休み時間の騒々しさの中に静寂なる空間を見る。佐藤の創り出す  サウンド・オブ・サイレンス、稲垣のサウンドレス・ムーヴメン  ト・・・・」
      51年 開成高校に進学
      高校1年生
        学校で行った日光旅行の際、一人で行動していたためバスに乗るの が遅れる。
      5月
        家庭内で彼にとって権威であった母の父(祖父)が死亡。 健一は、「家族の中で僕と対等なのはお祖父さんだけ」と言ってい た。 祖父の死後、健一の両親への軽蔑感が激しくなる。 自宅に来た級友の、「将来、なんになんのかなあ」という問いに 「どうせ、おれなんか役人ぐらいにしかなれないんじゃないか」 と言う。
      夏
        「おれは太陽が嫌いだ」と、昼でも2階自室の雨戸を閉めている。 部屋に閉じこもって泣いたり、大声を出したり、柱を叩いたりし始 める。
      11月
        学校を休む。父が注意すると「おれに干渉してもらいたくない」と 言う。 犯罪、心中、自殺などの新聞記事を集め始める。 食事を自分の部屋に持っていって食べる。
      52年 1月末
        「俺は鼻が低いから整形手術をする」と言う。 母「男の子だから鼻のことくらいで心配することはないじゃないの」 健一「お母さんは鼻が低いのによくそれで外に出られるな。鼻の低 いお母さんが結婚しておれを産んだから鼻の低いおれができたんだ。 お母さんが悪いんだ」 両親も鼻の整形手術をさせるつもりで整形病院に行くが、18歳に ならないと骨の成長が止まらないためできないと言われる。
      2月
        父と母に向かい「お前たちは鼻が低い。その鼻でよく外を歩けるな」 父が注意すると 「それは命令だ。親でも俺に命令することは許せない。俺は今までも  注意をされたとき耐えてきたが、もう許せない。お前が悪いのだ。  あんな女と結婚したから俺みたいな鼻の低いのができたのだ。おま  えら夫婦は教養もないし、社会的地位もないし、そんなやつが一人  前の顔をして説教できるのか社会的地位も名誉もないくせに何を言  うか。夫婦とも馬鹿だ。」 とののしる。 夜遅くになると、自室の2階6畳間で、柱や畳を1時間ほど拳で殴り、 両親の睡眠妨害をする。 母を殴るときは、 「傷をつけると警察沙汰になるから、つけないように殴るんだ」と言う。
      3月頃
        健一は髪の毛を鼻にかかるくらい長く伸ばしていた。 祖母が「髪が長すぎるから切ったらどうか」と言ったのに対し、 「それが気にくわない」と激怒。祖母を殴ったり蹴ったりする。 注意した母親に対しても暴行を加える。帰宅した父親が注意すると 「抑圧だ。お前らは学校も出ていないし、教養もないのに人を注意 したり説教したりする資格はない」と言い、床を踏みならしたり柱 を叩いたりした。 高校一年の成績 クラス51人中47番。
      4月 高校2年生進学
        新しく担任になった教師は、健一が授業中に一人笑い、不思議な笑み を浮かべているのに対し、一見して異常だと思う。
      5月
        学校を休む。父親に注意されると「抑圧だ」と物を投げ、ガラスを 割り、泣く。
      6月
        修学旅行を休む。
      7月
        学校主宰の講習会を欠席。 2年の1学期は51人中43番。
      8月1日
        母親「あんた勉強してるの」「していない」「大学はどうするの」 「それが悪い」と激怒する。その日以来、日常的に暴力をふるう。 「お前達のために夏休みを潰された。夏休みはもう戻ってこない。 これをどうしてくれるのだ」 父親が帰り注意すると 「お前らみたいな夫婦がおれを生んだためにおれの人生は破滅だ」 と暴れる。
        • 母親、祖母の首をしめる。殴る。蹴る。
        • 食卓をひっくり返す。
        • 食卓塩、胡椒、しょう油、炊飯器から出したご飯をまき散らす。
        • 水道からホースを引いて座敷中にまき散らし、水浸しにする。
        • 浴槽に粉石けんを箱ごとまいてかき回し、風呂場を泡だらけにする。
        • 布団を池に投げ込む。
        • 仏壇をバットでたたき壊す。
        • 家中のふすまを蹴破る。
        • 窓ガラスを叩き割る。
        • 家族が建具屋を呼び修理すると、「気にくわない」と言い翌日には再び蹴破る。
        • ピアノの黒鍵を全てナイフで削り取る。
        • 家の中で洋服やタオルや本に火をつけて燃やす。
        • 風呂場の桶に水を入れて、10杯くらい祖母の頭にかける。
        • その後祖母を押入れの方に蹴り飛ばす。
        • 祖母の寝ていた布団を表に捨てる。
        • 庭の池に、服、本などを投げ込み石油をまいて燃やす。
        • 態度、顔つきが普通と違うので、道を歩いていても通行人が振り返るようになる。
        • 近所の者からも家の様子がよく見え、「いつか事件が起こるぞ」と言われていた。
        • 9月頃からは窓ガラスを閉めていたので暴れる様子は見えなかったが、音がよく聞こえていた。
        • 母親も、近所のどこまで家の中の暴れる音が聞こえるか調べるため、家の周りを歩く。
        両親は、家庭向け医学書を読み、精神病を疑い、病院に連れていく。
      8月15日
        精神科に通う。 「精神病ではない。わがまま病だ」と言われる。
      夏休み最後の日
        母が担任の教師に実状を訴える。健一は母親と一緒だと口調が変わ り、母親の発言を全て遮り、担任教師を驚かせる。 担任が健一の父の職業を「お父さんのレストラン」と言うと 「おやじの店はレストランじゃない」と青ざめて怒った。 (「昭和52年度 開成学園父母と先生の会 会員名簿」2年7組 親の職業)  一流企業の中堅以上の幹部  会社重役  医師  弁護士、  大学教授  教師  裕福な商店主 (佐藤健一の欄は 「レストラン経営」)
      2学期
      時期不明
        学校から帰り玄関に入ると、すぐに一時間くらい大泣きをする。 「外で殴ったり殺したりしたい気持ちをやっと抑えて家まで来  るので、くやしくて泣くのだ」 それが終わると大声で叫んだり物を壊したりした。
      9月
        「ぶっ殺す」という言葉を口走るようになる。祖母は健一の乱暴を さけて旅館に、父はアパートを借りて寝泊まりするようになる。 授業中に突然机に突っ伏したり、突然立ち上がったり、本を開けて いなかったりして、全く身が入っていない様子だった。 物理の授業中、授業を聞いていなかった健一に対して教師が怒り、 「聞いてないんだったら出ていっていいよ」と言った。 すっと立ち上がり、 「ちょっと病院に行かなくちゃならないんで、帰ります」 と出ていった。クラス中が大爆笑になる。 中間テストは向精神薬を飲みながら受験した。
      9月5日ころ
        父親は健一の気の済むのを願い、荒川土堤で思いきり自分を怒鳴ら せ殴らせた。 その後、交番に行き、警察官から説教をしてもらう。 健一は「親が悪いんだ」と言う。 警察官の一人が「これは気違いではないか」と言っていた。
      9月12日
        四谷の神経科医院に行く。 病院の待合室で母を殴り、看護婦から止められる。 健一は、医師が言うことと、自分の思っていることと違うため、 意見すると、医師から「もう来なくてもいいから、そういう考 えなら他の病院へ行きなさい」と言われる。 医師から「精神病ではない」と言われ、入院は許可されなかった。 帰り道、健一は路上で父母に暴力を振るい、父のシャツを引き裂く。
      9月中旬
        健一が通院している精神科にひとりできて、一晩病院で泊まってい った。 佐藤家の近所の者の間で「うちの中でああいうことをやっている分 にはいいが、外で他人様にケガでもさせるようになってはいけない から、警察に相談したらどうか」という話が出る。
      9月26日
        健一、精神科医から電気ショック療法を受け、睡眠薬を処方される。 電気ショック後、「お母さんと一緒に寝る」と幼児のように大人し くなり、一週間ほどおとなしかった。
      10月
        電気ショックの効果が切れたのか、以前より激しく暴力を振るう。 「おれの人生は破滅だ。お前たちを道づれに殺してやる。おれは犯 罪者になってその辺の人間を無差別に殺して、お前らを一生苦し めてやる」と言う。
      このころ
        暴力を振るった後、健一は眠る際に「さびしい」「落ち着かない」 と父母に言っていた。「手を持ってろ。足を持ってろ」と訴え、父 母は健一の手足を触り、落ち着かせて眠らせていた。
      10月22日
        電気ショック療法を受ける。
      10月23日
        電気ショック療法の効果が切れ、早朝に眼をさます。 「俺の人生は破滅だ。どうしてくれるんだ。青春を返せ」と言い、 すぐに暴れ始める。 父親にフスマのクギのついたワク棒でなぐりかかり、父親が避ける と包丁で刺そうとし、さらにこれをよけると、後ろから大皿で力ま かせに後頭部を一撃する。父親の頭から血が流れ、パトカーが呼ば れる。そのまま精神病院に収容され、開放病棟に入れられる。
      10月24日
        健一は無断で病院を出て通学をした後、病院に戻ってくる。 その時病院内にいた父に暴力を振るうため、保護室に入れられ、電 気ショック療法を受ける。その後閉鎖病棟に入れられる。 母親は健一が収容されている間、健一が可哀そうだと泣き暮らした。
      10月25日
        家族からの依頼により健一を退院させた。
      10月28日
        親子三人で巣鴨にあるカウンセラーに通い、父親は70分、健一は 30分のカウンセリングを受ける。健一は 「おれはもうだめだ。テストの結果がだめだった。中間試験を受け なかった。苦しい、苦しい。いっそ気違いになればよいと思ってい るが、そうもならない」 と断片的に言う。 午後2時、家族三人で、以前から健一が通っていた別のカウンセリ ングに行く。健一はカウンセラーに 「死にたい。我慢しきれないほど苦しいが死ぬこともできない、 仕方がないから生きていくんだ」 と言い、泣く。 精神科に行く。父の「治りますか」という問いに対し、精神科医は 「私は予想屋ではない。(健一君は)自殺するか、犯罪者になるか、 どちらかだ。自殺はできないだろうから、犯罪者になるだろう」 と言う。
      10月29日
        精神科に通院。 健一は非常に沈んでおり、自分で電気ショック療法を希望する。 精神科医は「精神病ではない。一種のヒステリーだ。本人の気の済む まで暴れさせておく以外にない」と家族に言う。 健一、病院から帰った後、家で三時間ほど眠る。
      午後5時ころ
        健一が起きる。 大声で両親に「どうしてくれる」と言う。窓を叩き、炊いたご飯を つかみ家中にまく。外へ出て庭の植木鉢を叩き割る。 母親が食べているどんぶりをひっくりかえす。 風呂に入っている母親に水をかける。 文句を言いながら、拳骨で母親の体中を殴りつける。 「もう遅い。元の身体に返せ。青春を返せ。人生を返せ。めちゃめち ゃにしたのは親なのだ」
      午後8時半頃
        健一、睡眠薬を飲む。
      午後10時頃
        健一、再び睡眠薬を飲む。
      午後10時半頃
        健一、外で母親に再び暴力を加える。逃げた母親を探していたのだが、 隠れて見つからず、薬が効いてきたため二階の自室で眠る。
      10月30日 午前0時頃
        父、2階の部屋で眠っている健一の首を帯でしめる。 「ううっ」とうめいた後、健一死亡。 健一の死体は2階の押入れの上段に、丸首半抽シャツ、黒ズボン姿で 仰臥し、両手は合掌させられていた。
      10月31日
        両親は自殺するつもりであったが、死にきれず、父親が自首する。
      53年2月26日
        父に懲役3年執行猶予4年の判決(求刑懲役8年)。 検察側が量刑不当として控訴。 それまで父の執行猶予を願い、尽力していた母がひどく落胆する。 母は日記に 「死にたい」 「死ぬのは勇気がいることだ」 「健一のそばに行きたい」 と書く。母はアルコールを痛飲するようになる。 同時に、父に対し、攻撃的になる。 「健一を帰せ!」 「健一は私の生き甲斐だった。あなたより大切だった」 「あなたは私をめちゃめちゃにしてしまった。許せない。」 「みんなあなたが悪い。刑が軽すぎるんじゃないの」 「死んでやる」 「今は健一の気持ちがとてもよくわかる。だから同じ事をしてやるの」
      7月2日
        母、健一が死んだ同じ部屋で首吊り自殺を遂げる。 母親の遺書 母親の遺書
      54年2月28日
        高等裁判所は控訴を棄却。検察は上告せず、判決確定。
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    ■ 開成高の同級生の話
        「彼は、髭の毛ボサボサでふけだらけ、いつも汚いコート着ていて、  成績が悪いし、おれは "何で勉強しないんだ、こいつは?いやな  奴だ″と思っていた」 「旅行に行っても、健一は他のクラスメートと遊びもせず、旅館で  も1人で寝てしまった。」 「クラスの中で一番先に死ぬのは誰か?と言うと、誰かが「それは  佐藤だよ」と事も無げに言った。佐藤が死んだって聞いた時、あ  あ、あいつは死ぬような奴だったなあ、おれはそのときそう思っ  たよ。何の実感もわかなかった」 「あのとき(事件後)、誰かが新聞の切り抜きをコピーしてやって  来て、2〜3のクラスに配ったんだよね。その組も、運動会の準  備で組長が決められていて、その組長が花だとか何かを佐藤の机  の上に置いといたんだけど、どんどん事件が薄れて行っちゃった  ねえ」 「佐藤は中学校のときから目立たなかった。中3のとき、彼が欠席  してたことがあったんですけど、そのことに気がついたのが、結  局、4時間目をすぎてからだった。まるで印象のない感じで・・・・。  休み時間にも、おしゃべりの輸にくわわっていた姿はほとんど見  なかった」
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    ■ 読書傾向
       中学3年生ころ、父親が持っていたスタンダール「赤と黒」を始 め、次第に難解な哲学書を読むようになる。他にサルトル、ブレン ターノ、フッサール、オルテガ、カミュ、ル・クレジオなど。  フランス語の独習もやり始めていた。 (「おれは太陽が嫌いだ−開成高校殺人事件」 高杉晋吾より)  フランス人作家、ル・クレジオ「発熱」(新潮社刊・高山鉄男訳)  その一節(ロクという主人公の勤め先トランス・トウリズムとい う旅行社の情景)にこんな文章がある。 「 T店には絶えず人々が出入りしていた。派手なドレスを着て、顔 を上気させた女たち、カメラを持った男たち。机の列のうしろ側で  は、休みなく仕事が行われていた。タイプライターはカタカタと動  き靴はあちこちに動きまわっていた。ときどき電話が鳴った。ベル  の音がホール全体に響きわたり、その音は5、6回くり返されるの  であった。すると1つの手が受話器を外し、鼻にかかった声が聞こ  え始める・・・・   こういうのがしごとというものなのだ。これは無益でばかげた大  騒ぎであり牢獄で演ぜられるもの悲しく騒々しい喜劇のようなもの  だった。  ・・・・彼らは、なんにも考えず、なんにも気づかずしごとをしたり  ・・・・知らず知らずのうちに、虚無に・・・・死に近づきつつあることを  知らないのだった・・・・騒音と運動にあふれた死体置場のようなもの  ・・・・店はまさにそのようなものとなっていた。  ・・・・ふたたび怒りがこみあげて来るのをロクは感じた。  ・・・・ロクは叫ぼうとした。しかし彼の喉からは苦しい喘ぎが洩れる  だけだった。そこで彼は歩道に身をかがめ、プラタナスの幹で体を  支えながら、根のそばに落ちている小石を拾った・・・・彼は飾り窓の  ガラスを意地悪く見つめ『病気なんだ、病気なんだ、病気なんだ』  と思い、力いつぱい小石を投げた。ガラスが砕け・・・・」  健一君はこのル・クレジオの小説『発熱』を常にカバンに入れ、 愛読していた。
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    ■ 魔術的な笛
      (「おれは太陽が嫌いだ−開成高校殺人事件」 高杉晋吾より)  ル・クレジオの著書とともに、彼のカバンの中に入っていたカセ ットテープはテレビマンガの「キ力イダー」の主題歌だった。  健一君は、精神科医に「笑わないね」と念を押して、キカイダー の魅力をこう説明したのだ、と言う。 「悪役の一方の主人公が魔術的な笛を吹く。すると、相手は意志を 失い、わが身にひれ伏す。そして彼は社会を支配する」  健一君はこの魔術的な笛として、開成に入学することで克ちうる ことができたと思ったわが身の「平凡でない」人間であることの証 明として肩書きを考えたのだろうか?
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    ■ 「破滅の人生」 (第一審 母親の証言から)
      弁護士
        K医師の供述調書によると、「破滅の人生を受け入れるようになっ た」という趣旨のことを健一君が言っているというのがあるのです が、健一君は「破滅の人生」という言葉をどういう意味で使ってい たのですか。
      母
         あの人には自分は一種特別な人間であるという自意識があったの です。 私は天才なのだ。私は頭がいいのだと過信していた面があったの です。自分は他人とは違い特別な人間で、社会の中枢に立ってこと をなし得る人間だと思っていたのです。 しかし、八月以降こういうようなことがあって、自分の敷いた一 本のレールから踏みはずした人生を送らなければならなくなる。 そういうのが「破滅の人生」で、いわゆる一般社会の人がお酒を飲 んだり家庭を持ったり、子供を産んだりしていくのも「破滅の人生」 だというのです。それから犯罪者になるのも「破滅の人生」だとい うのです。
      弁護士
         普通、常識的に健全に真面目に働いて結婚してという生活は「破 滅の人生」だということですね。
      母
         そうです。 親が子供と一緒に外を歩いたり物を買って楽しそうにしているこ とも「破滅の人生」だというわけです。 だから「うちでは一切そういうことをしてくれるな」というので、 うちでは少し前から一緒に出歩いたり食事したりしなくなりました。
      弁護士
        10月23日に「破滅の人生」を受け入れることを健一君が言い出 したのですか。
      母
         そうです。K医師も「破滅の人生を受け入れることに決まったね」 という言葉で、夜の八時前にそういう話になったのです。
      弁護士
         犯罪者になるのも「破滅の人生」ということですが、そのことに ついて健一君はどういう意見だったのですか。
      母
         そういう二種類の「破滅の人生」があるならば、「どうせ受け入 れるのであれば、普通の人が暮して行く健全な社会生活、家庭生活 に則った破滅の人生を選んでもらいたい」と、そのときそこで言っ たのです。 それに対し健一は、 「ぼくはそういう人生は選べないから、そうではない非行少年とか 犯罪者になる意味の破滅の人生を受け入れることになる」 と言ったのです。
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    ■ 参考資料
      「おれは太陽が嫌いだ−開成高校殺人事件」 高杉晋吾 「面接取材 開成高校生殺しの問題点」   吹上流一郎 「子供達の復讐」 本多勝一
    index  朝倉泉 年表