国家公務員を志望する。 朝倉和泉著「還らぬ息子泉へ」から
      ◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.
       ママは、かねがね、充実した人生を送るための第一条件は、自分に最適 な職業、あるいは仕事を持つことだ、と考えていました。手っ取り早くい えば、自分のやりたいこと、自分が真から打ち込めることを、一生やり続 けられる状態にある人は幸せだということです。(・・・略・・・)  あなたの将来を思う時も、この考えに変りはありませんでした。「やり たいことがあるのなら、大学に行かなくってもいいんだよ」とあなたに言 った(・・・略・・・)  ところが、こういったママの発言を聞くたびに、あなたからは妙な反応 が返ってきました。サラリーマンになりたい。好きなことをやったって、 貧乏したんじゃなにもならないよ。仕事の内容なんかより、安定した生活 が第一さと、こんな具合なのです。所帯持ちのセリフならいざ知らず、ま だ子供のうちから何と夢のないことよと、ママは常々情なく思っていたの でした。  あの日も、そんなやり取りを少しした後、あなたは急に、国家公務員に なる、といい出しました。初めて聞きました、そんなこと。そうか、サラ リーマンの中でも最も安定した身分を選び出したな。ママは苦笑しました。 「国家公務員のどこがいいの?」   驚いたことに、あなたは食ってかかりました。 「国家公務員のどこが悪いのさ。公務員になるのって大変なんだよ」 「そりや大変かもしれないけどさ、つまんないじゃない。毎日毎日机に向  って機械的な仕事ばっかりしてるなんて」  おかしなことになりました。あなたは涙さえ浮かべて、いつになく興奮 している。 「ボク、もう国家公務員になることに決めたんだ。ママ、どうして反対す  るの?」  ママは、その涙に当惑しました。まだ中学の息子の将来を、こんな形で 論ずるアホらしさにも当惑していました。そして何よりも、最近頓に冷た くなった息子がついに母親をはじき出し、独断で何かを決定したという事 実にたじろぎ、打ちのめされていたのです。 「何、そんなに怒ってるのよ。国家公務員なんて、今まで一度も聞いたこ  とのないもの持ち出されて、びっくりしない方がおかしいじゃない。第  一何で今、国家公務員になるなんて決めなきゃならないの!まだ中学生  のうちからさ」  よく考えてみれば、理はあなたの方にあるのです。何でも好きなものに なれといっておいて、国家公務員はいかんというのはおかしいじゃありま せんか。あなたは、お腹の中で叫んでいたに違いありません。「そら見ろ、 ウソつき!」と。  とこかく、ママはひどく悲しくなってきました。ふいに涙がポロポロと こぼれました。それを見てたあなたがいいました。 「ママ、ボク、ママが泣いてうれしいよ」  意味を計りかねる言葉でした。 「どうして?」 「だって、ママはボクの親でしょう。子供のポクが苦しんでいるんだから、  親が一緒に泣くのは当然だよ」  ママは、声を上げて泣き出しました。「ママが泣いてうれしい」を「い い気味だ」という意味にしか理解できなかったのです。それは口惜し泣き 以外の何ものでもありませんでした。  あなたにもその泣き声の意味はわかりました。完全に心が通じなかった ことを悟ったあなたは、声を立てて笑いました。その笑い声の中にあった 絶望の響きも、ママには嘲笑としか聞こえません。  カッとなってママは立ち上りました。 「親を泣かせて喜ぶなんて!何ていやな子なの!」  あなたは二階に逃げ上りました。「ママに殺される!」と叫びながら。 index  年表  next (私立専願にする)