レールモントフ 「現代の英雄」
レールモントフ著「現代の英雄」解説 (北垣信行)から 概要
◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.
|
■ レールモントフ
ロシヤ19世紀文学を見渡してみると、非業の死をとげた詩人や
作家の数はおびただしい。
ラジーシチェフの服毒自殺、バーチュシコフの狂死、グリボエー
ドフの虐殺、プーシキンとレールモントフの決闘による死、A・オ
ドーエフスキイ、ボレジャーニフ、マルリンスキイらの戦死ないし
病死、ゴーゴリの自由意志による餓死等、ロシヤ近代文学はこうし
た犠牲者の屍の上に築かれたと言っても過言ではない。
1837年1月、プーシキンが決闘で潮死の重傷を負った。レー
ルモントフは息を引きとる前のプーシキンに会ってきた医師からそ
の模様を聞くと、心からの哀悼と先輩詩人を死に到らしめた者たち
に対する憤激から『詩人の死』という詩を書きあげた。これが書き
写されてロシヤ全土に流布し、無名の弱冠詩人レールモントフは一
挙にその名を知られることになった。
しかしこの文壇への花々しい幸運な門出は、皇帝と上流階級から
の飽くなき迫害の初まりでもあった。彼はニコライ一世の命令でコ
ーカサス駐屯中の連兵へ左遷された。皇帝はそうすることによって
若い詩人の精神が矯正されるか、彼が土賊討伐戦で戦死することを
期待したのである。初めはレールモントフを歓迎した貴族も王室も、
詩による毒を含んだ批判攻撃を快く思うはずはない。陰謀の網が張
りめぐらされはじめた。
1840年2月、詩人の敵どもは、数年前レールモントフが他の
人物を諷したエピグラムを、ある男のポケットに忍ばせた。男は激
昂し、詩人に決闘を申しこんだ。しかし最初に射撃した男は射ち損
じ、詩人は脇へ向けて射ったため、謀殺はついに成らなかった。し
かし、詩人は逮捕されて営倉に一か月入れられた後、最も危険な最
前線の連隊に転属させられた。
41年1月には賜暇を得て、上京できた。レールモントフはこの
時、以後文学活動に専念するつもりで、退役の許可を得るため奔走
したが、遂にそれは実現しなかった。
詩人の首都滞在の遷延に業を煮やした憲兵隊長は、二日以内に首
都を退去して連隊に復帰せよという命令を伝えた。親友たちが開い
た送別会の席上で、レールモントフは憂鬱そうに自分の死の切迫の
予感について語っていたという。
復隊の途次、レールモントフは婦人たちの前で旧友をからかい、
この旧友から決闘を申しこまれた。レールモントフは例によって銃
口を脇にむけて発射したにもかかわらす、相手はそばまで駆け寄り、
彼を十分に狙って一発のもとに射殺してしまった。現在ではこの決
闘は単なる私怨によるものではなく、敵側がしかけた謀殺であるこ
とが立証されている。
詩人の死を知ったニコライ一世は、「犬には犬の死に様があるも
のだ」と言ったと伝えられている。
◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.◆.
■ 現代の英雄
作者は主人公の風変わりで矛盾した複雑な性格を描くにあたって、
まず外面描写から始めている。
主人公の、こうと思い立ったら人の思想も他人の不幸も無視し、
あらゆる障害を排して突進し、智力の限りをつくして目的を達しよ
うとする我の強さと自己中心主義の性格を描きだしている。
主人公とは性格も考え方もまったく対照的で視界も理解力も狭い
老軍人から見た主人公は、勇敢ではあるがわがままな、奇癖の持主、
変人でしかない。
別の章では主人公が、教義のある理解力も深い人の目で観察され
る。しかしここでもまだ、懐かしさを情熱的に披瀝しようとする老
大尉を素気なく扱う、つまり女に限らず男にも、情熱を見せつけら
れると気持ちが覚めてしまう彼の奇癖が確認されるだけである。
ところが後半三篇になって、主人公の日記の形式で、これまで外
から書かれていた主人公の内面が描かれることになる。
主人公ペチョーリンは、智カや意志力や行動力は極度に発達して
いるが、感情、特に思いやり、同情といったようなものに欠ける
「精神的片輪」である。こういう、感情を失い理智だけで生きる人
間は、自分と他人の行動や情熱を分析したり吟味したり考察したり
批判したりする自己と、行動する自己とに分裂する。
自由な意志の発現を封じられた弾圧下の社会では、目は内に向か
い、思想と行動は常に解剖され再吟味される。
ペチョーリンも、正常な行動が阻まれた結果人の善意が信じられ
なくなり、何事も再吟味、再検討の秤にかけずにはいられなくなり、
善悪の基準も信じられず、これにたいして常に懐疑的である。
そしてあり余るほどのエネルギーと行動欲に満ちた彼は因習を無
視し、他人の希望も幸福も破壊して憚らぬ無軌道ぷりを発揮する。
こうしてノーマルな活動舞台を持たぬ彼はついに、男女を問わず
自分に屈服させ、他人にたいして権力を握ることに無上の幸福感を
見出だすほどの誤謬に陥る。
愛情も感じない女を靡かせるためにいろいろ策を弄するのも、こ
の満足を味わいたいがためなのである。
だが、聡明なペチョーリンには、これが迷夢に過ぎず、こうした
満足は真の満足ではなく代替物にすぎないことが、心の奥底ではわ
かっている。目的が成就したとたんに熱がさめてしまうのはそのた
めである。彼の退屈と不満と不幸感もここから来ている。それでい
て、冷めきった計算と計略で運ぶ恋愛遊戯や冒険で一時空虚感を糊
塗し、他の充実感を味わいつづけずにいられぬところに、彼の不幸
がある。
彼はそうした生活には満足できず、決闘の前に自分の過去を思い
うかべてこう考える。
「おれはなんのために生きてきたんだろう?
たしかに目的はあったのだ、おれには崇高な
使命があったのだ。なぜって、おれは自分の
魂に無限のカを感じるもの・・・・それなの
におれはその使命を探りあてることができな
かったのだ。」
ペチョーリンのもうひとつの特徴は運命論者である点である。
ピストルによる賭けで最初の一発が不発だった直後、
「ところでどうです?
あなたは宿命ってやつを信じかけてきましたね?」
と問いたとき、彼は
「信じますね」
と答えている。自分の意志を自由に行使できない抑圧された社会で
は、人間が宿命を信ずるようになるのは当然である。
それでいてペチョーリンは懐疑論者でもある。
こういう人間は決断力に欠け、行動力を持たないのが普通である。
その実例は、おなじ余計者でもツルゲーネフが手がけた余計者に数
多く見出だせる。
だがペチョ−リンはちがう。ペチョ−リンの特異点はここにある。
彼はこう書いている。
「おれは好んでなんでも疑ってかかることにしている。
こういう思考傾向は気性の果断さを妨げるものではない。
それどころかかえって、おれに関する限り、いつも、
先々どうなるかわからないようなときのほうが勇往邁進
しているくらいだ。実際、死より悪いことは起ころうは
ずもないし−−死はまぬがれるわけにいかないのだから」
ペチョーリンは運命にも懐疑も断乎たる意志カで踏み越えてしま
う決断力がある。この豪胆さ、勇気は論理を越えている。
まさしく、ペチョーリンは別の時代と環境に生まれていたら英雄
となる素質を持っている。
作者は非凡な素質を持つ青年でさえこのような生き方しかできな
いことを示すことによって、間接的に当時のロシヤ社会を批判して
いるわけである。
index 年表 next (大いなる助走)