第三章 (2)/3
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さて勝気でわがままで感情をすぐ外に出す母は自分のその性格を正当化
する。すなわち夏目漱石の「坊っちゃん」気取りである。感情を外に出す
のがいいことだと思い込んで得意になるわけだ。こういう女は男を相手に
しても決してひるまない。男なんかに負けてたまるかという心理、これを
心理学用語でペニス願望というのだそうだが、とにかく母は本当に勝気で
堂々としている。
これは別に悪いことではないのだが、ある種の人間、すなわち私のよう
に神経質な人間から見ると、その堂々とした厚かましさが実に無神経にみ
えてたまらないのである。こういう勝気な性格の人間は、その人がそこに
存在しているというだけで神経質人間に無言の暴力をふるっているのだ。
神経質人間はこういう人間とまともにわたりあえないのである。だが相手
はどんどん自分の感情・考えを恥かしげもなくさらけ出してくる。こちら
はそのエネルギーに圧倒されて何も言えでない。むこうは議論なり説得な
りに勝って得意になる。あるいは、神経質人間の存在こよって逆に勝気人
間は自分の厚かましさ、無神経さを無言のうちに指摘されているようこ感
じて怒り出す。「なんだ。うじうじしやがって」などと言う。神経質人間
が自殺した時に「力強い大衆」の示す反感、拒否反応はこういう心理に基
づいているのである。何度も言うが、勝気人間は感情を生のままさらけ出
す。母ももちろんそうである。これは、変に自分の感情を隠した陰湿な祖
母のいやらしさとは正反対の、しかし同じくらい強烈ないやらしさである。
母は怒るとそれをむき出しこする。感情をさらけ出すとは、精神的に裸に
なることだ。それに対する羞恥心というものが母こは全くない。その無神
経さ。愚鈍さが私をたまらなくいらだたせる。たとえば私が部屋のドアを
閉めきっているとする。祖母なら私の部屋にやって来て、帰る時にわざと
ドアをあけていくというような反感の示し方をする。母はこうだ。突然、
ドアを音高く開けて叫ぶ。「開けといたっていいでしよ。家族なんだから。
」すなわち反感むきだし。自分が私の部屋のドアによって拒絶されたのが
この勝ち気な女にはおもしろくなかったのだ。また私が少しでも母に反抗
的言動を見せると母は祖母のように手のこんだ方法を使わず、突然、部屋
にかけこんできて怒鳴る。反感まるだし、感情むきだしの野蛮ないやらし
さである。しかも母はそれがよいことだと思っているのでもうどうしよう
もない。母も自分の感情を抑制しようとすることがある。だが母はそんな
ことに慣れていないので私には母が不快感を押さえているなとすぐわかる。
母のそんな無神経さと言うか、織細さのなさというか、とにかく感情一つ
抑制できない女の厚かましさが私を気も狂わんばかりにいらだたせる。し
かも母はすぐ爆発してしまう。すると、これまでおさえていた時に母の中
でくすぷっていたものが一挙にふき出してくるので、あの時、あんな顔を
していた時、心の中ではやっぱりこう思っていたのだということがわかっ
て私はそのいやらしさにぞっとする。
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