「遺書」 朝倉 泉 第三章 (1)/3
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        第三章 母  私の母についてはそれほど苦労しないで論を進めることができる。と言 うのも、私の母の心理は祖母のそれのように妙に屈折したりしていないか らである。単純と言ってもいいのだが、単純を言いきる前に言っておかな いといけないことがある。つまり母は単に単純なのではなく、単純、すな わち感情を隠さずにそのまま外に出すのが正々堂々としていてよいことだ と思っているがゆえに、意識して単純にふるまい、感情を外に出している ようなふしがほのみえるのである。母は私の祖父母に育てられたわけで、 まあ良家のお嬢さんとして育ったわけだ。だが祖母は私に対してしたよう な束縛を母にはしなかったらしく、母はわがままに育ってきた。だから女 にしてはたいへん勝気である。男勝りと言ってよい。勝気という性格があ まりに強いので、普通お嬢さんとして育てられた女性が多かれ少なかれ持 っているはずの「たおやかさ」とでも言うべきものが母には全くない。勝 気。母のいやらしさはこの一語に集約される。勝気で、誰にも遠慮するこ となく育ってきたから自分の感情を奥にしまってひきさがる、というよう なことが全くない。常に自分の考えを堂々と述べたてて、決して物怖じし たりしない。これはたいへん結構なことであるが、それが女性でしかもそ れがあまりに極端だと実に不快なものである。女性の美点の一つである慎 み深さというものが全くない。こういうことを書くとウーマン・リブの連 中がどうこう言うかもしれない。私はこのウーマン・リブというもののお かしさ・みにくさを論破できるが、こでそれを書くと長くなるし本題から それてしまうのでごかんべん願いたい。 index  back  next