第三章 (3)/3
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母は、仕事で何か気にいらないことがあるとすぐ相手に、それがたとえ
上役であっても文句を言う。そしてそのこと、上役にむかって平気で不満
を言うことがまるでいいことのように、私に自慢したりする。ふざけるな。
なにか不平不満があるとすぐにそれを解決しようとして動き出す勝気な
力強さのいやらしさ。自分の権利を正々堂々と主張する力強さのいやらし
さ。 離婚もそうだ。ちよっと不快になるとすぐその状況を脱け出そうと
して離婚である。あの程度の不仲の夫婦など世間にはいくらでもいる。そ
の人達は不快をがまんしているのだ。ところが私の母は違う。生意気にも
その不快な状況から脱け出そうとしやがったのだ。この事は母の、自分一
人でもやって行けるという、お嬢さん育ち特有の世間知らずの勝気さ、不
愉快になれていないわがまま育ち特有の、不愉快からすぐに脱け出そうと
するいやらしい力強さを実に見事に表している。離婚したあと、母が自分
の父、つまり私の祖父からの金銭的援助を受けないのも同じである。これ
を男がやるなら立派だが女が男ぷっていい気になってやるとそのいやらし
さは筆舌につくしがたいものになる。
母のみにくさは母の機嫌が良い時にも表れる。すなわち自分の喜びの感
情をすぐに外に出して子供のようにはしゃぐ。この元気のよさは本物の苦
労を味わったことのないお嬢さん育ち特有の健全さだ。この健全さも私の
ように神経質で不健全な人間にとってぞっとするほど疳にさわる。
母の言う冗談の健全ないやらしさ。私が普段しゃべり散らしていること
の不健全な壮快さと正反対である。しかも母は自分の喜びを無理矢理、人
に押しつけ、人が自分と同じように喜ばないとお嬢さん特有のわがままで
怒る。「おまえなにひねくれてんのサ!」などと叫ぶ。殺してやる。
もう書くことがなくなってしまった。これは、祖母の時は、その手のこ
んだ計略を一つずつ、突きくずしていくのに枚数をとったのだが、母の時
は単純のいやらしさ、勝気のいやらしさということでそれほど書くことが
なかったからである。そして母がそのいやらしさからへんな小細工は「男
らしくない」からいやだと思い込み、それを信念としているため、小細工
が私に対してしかけられなかったということも一因である。だがこれもい
やらしい。なぜなら「小細工しない」という信念由体が母のみにくい部分
から出てきたものである以上、母に関して見れば、祖母とは逆に「小細工
をしない」ことがいやらしいのである。
力強さのいやらしさということはわかる人にはわかるが、わからない人
にはわからないだろう。あるいは心の底ではわかっているのにそれを認め
ないという馬鹿もいるだろう。とにかくこの力強さのいやらしさは力強い
ということが悪でないだけに実に表現しにくい。また力強いということが
悪でないからこそ、このいやらしさはなおさらいやらしくなるのだとも言
えよう。
すぐはしゃぎ、すぐ怒り、すぐ悲しみ、その感情を何の屈折もなく外に
出してくる単純さ、愚鈍なまでの健全さ。こういういやらしさは誰かの手
でひねりつぶさなければいけない。さてこれまでに、私は祖母の持ってま
わった陰湿ないやらしさと母のカ強く無神経ないやらしさに攻められてい
るということを書いた。だが話はまだ終りにならない。妹がまだ残ってい
る。
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