第三章 (6)/8
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(6) 「さむい」「あつい」
祖母は必ず毎晩、私の部屋へ来て夏なら「明日は暑いから薄着にしなさ
い。」冬なら「明日は寒いから厚着なさい。」と言う。
つまり大げさに「あつい」「さむい」を言うのだが、これにもみにくい
理由がある。「あつい」「さむい」という状況は私に対して服装のことを
とやかく命令しやすい状況である。だからいろいろと私に命令するために
それはどでもない時に「あつい」「さむい」等と言うのだ。私がこういう
祖母のみにくい心理を読みとってわざと「あつくない」「さむくない」と
言うと祖母は私のこの言葉から自分の権力に対する無言の反抗を感じる。
祖母は「ここでひきさがると負ける」などと思うのだろう。なおさらムキ
になって「あつい」「さむい」と言う。なんとみにくい心理だろう。
(7) 私の読書に対しての祖母の反応
私をことさらに子供として扱い、まだ半人前だと思い込みたい祖母は私
の愛読書までもけなすのである。祖母は私が、読書に祖母が入れない独自
の世界を持っているのが気にくわないのである。そこで私の愛読書をむき
になってけなす。むきになったかと思うと今度は急に、その本を軽んじた
馬鹿にしたような態度をとったりする。なんとかして私の本を否定しよう
という心理がみえみえである。明治生れの祖母と私とでは読書の好みが違
うのは当然である。だが祖母にはそれが気にくわないのである。祖母は私
が祖母と同じようになってほしい、自分と私の自我が重なってはしいと思
っているのだ。それなのに私が祖母の好みからはずれた傾向の読書に自分
の世界を築き始めたのである、頭の堅い祖母には理解できない傾向の続書
に。(私に言わせれば祖母は読書をしているとはとてもいえない。一年に
数冊、昔の作家の小説。それも変に健全な小説ばかりを読むだけである。
それが一人前に、この私に、一年に百何十冊の本を読み何十本という映画
を見るこの私に、小生意気にも説教するとはなにごとだ。)これも祖母に
とっては私が祖母の手のとどかないところへ行ってしまうというふうに感
じられるのだ。祖母はそれが不安で憎らしくて、おもしろくなくてたまら
ないのである。祖母は最初は私の愛読書を馬鹿にする。つまり自分(祖母)
がムキになって批判するほどの本でもないというような顔でその本を軽ん
じたいわけだ。それが進むと今度は怒り出して最後には捨てろとまで言い
だす。祖母は自分と私との間の障害になるものが憎くてたまらないのであ
る。本もこの場合その障害物なのである。なんというみにくい心理だ。最
後には本の作者までを「こんな人、子供だよ」などと言い出す。こうなる
ともうとても言葉では言い表わせない汚ならしさである。
(8) 性
思春期になれば第二次性徴が起こるということを祖母は当然知っている。
祖母はこれが気にいらないのである。子供だ、子供だと思い込もうとして
いるのに、私が少なくとも体は一人前の男性になっていく。自分の手のと
どかない男性の世界へ入ってしまう。祖母はこう考えて不安に身をよじる。
こういう祖母が一体どういう行動に出るかというとこれはもはや狂気であ
る。祖母は私の他の世界までも一緒について来ようとする。風呂場をのぞ
きにくるのだ!もし私がこういったことを祖母が意識してやっているのだ、
などと言えばそれは被害妄想かもしれないが私はそうは言っていない。祖
母は無意識のうちにこういったことを行っているのだ。人間の精神という
のは都合よくできていて自分で認めたくないような考えはみな無意識の世
界へ抑圧してしまうのである。無意識だからと言って手加減してはいけな
い。無意識と失神は違う。無意識と意識は表裏一体だ。つまり結論を言え
ば祖母はいやらしい人間だということだ。
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