第二章 (2)/9
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「おちこぼれ」という言葉一つとっても私はそこに大衆の貧相ないやらし
さを指摘することができる。「おちこぼれ」というのは確かに少しきつい
言菓だと言える。普通なら大衆は、このような自分達の劣等性を表すよう
な言葉は無視し、抹殺してしまうものなのに、今回にかぎってなぜこの言
葉がひろまったのであろうか。実は、大衆が、この「おちこぼれ」という
言葉をひろめたのは、このきつい言葉は受験戦争からできたものなんだ。
だから受験戦争はいやらしいものなのだ、と自分達が言って満足するため
なのだ。つまり自分達でわざと不快な言葉を作り出しその不快さをたてに
とって、自分達が気にくわない受験戦争・エリート等を攻撃しようとして
いるのだ。これは考えすぎなどでは決してない。感情をまじえずに論理的
に突きつめていけば大衆の心の底にこういうみにくさがあったことは利巧
な人にはすぐわかるはずだ。
さて大衆のいやらしさはとどまるところを知らない。大衆・劣等生は自
分達がなにかに手がとどかないと知ると逆にそれを自分は欲しくないのだ
というような態度をとって自分をなぐさめ、納得させようとする性質を持
っている。劣等生でも勉強ができるようになりたいと思って努力している
うちほ大変、結構だ。だがひらきなおって勉強をやめ、「勉強なんか、こ
っちから捨ててやったのさ」などと言いはじめると実にいやらしい。不良
はみんなこのての馬鹿である。彼等とて一応は人の子だから本音としては、
一人前に人には認められたいし、先生にもほめられてみたいのである。と
ころが、勉強があまりにできないためそれが全く不可能と知ると自分のそ
のみじめな状況を認めたくないものだから、自分の欲求とは逆に、それま
ですこしはやっていた勉強もやめ、なおさらグレる。つまり「勉強なんか
できなくたってオレは少しもかまわねえよ。自分からやめたのさ、勉強な
んか。」そう言って自分を納得させようとするのだ。心理学でいう「防衛
機制」である。さて、勉強(あるいは社会)から見捨てられたのを認めた
くないので、逆にこっちから勉強を捨てたなどと言う自分達のみにくさを
無意識のうちに知っている彼等は仲間を求める。似たような者と一緒だと
「自分は社会ののけものだ」という気持ちから開放され「こいつだってオ
レと同じなんだ」という安心感にひたれるからだ。不良グループ・暴走族・
ディスコ等は、みなこのてあいだ。自分に対する自信がないからこそ仲間
をつくって群れつどうのだ。「流行」も同じことで、みんな同じ服を着る
ことによって仲間意識を作って安心しようというのだ。暴走族・不良グル
ープが制服を作ったりするのも全く同じ理論だ。ここで「流行」について
もう少しくわしく考えてみたい。この「流行」とはその範囲が「若者社会
全体」と広いので、流行にひたっていない人を「流行」にひたっている大
多数の集団の力で「おくれてるう」などと言って馬鹿にし、仲間にならな
い人を否定するというカを持っているのだ。流行を追う人間=自分に自信
のない人間キ勉強のできない人間=大多数であり「おくれてるう」という
言葉は出来のわるい自分達の集団に属さない人間=確固とした自我を持つ
人間=出来のわるい人間からみると気にくわない人間を多数決的・集団的
なカで馬鹿にし否定しょうという言葉なのである。彼等馬鹿どもの武器は、
ただ自分達の人数が多いということだけなのだから。
同じ論理が、「社会全体」にもあてはまる。多数派の人間達はその唯一
のとりえである集団の力によって少数派エリートを攻撃しょうとしている。
この点で、集団の規模こそ違うもののエリートヘの嫉妬から「受験戦争反
対!」等とさけぶ大衆達は暴走族と似たようなものだと言えよう。
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