第二章 (8)/9
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さて大衆の、エリートへの攻撃に話を戻そう。現代のエリート学生には
上品で繊細で線の細い神経質な人間が多い。これは知的で静かな環境で育
てられてきたエリートの特徴である。そのエリートに向って野卑で図太く
無神経な大衆が恥じらいひとつ見せずにみにくい嫉妬をぶつけてくるので
ある。大衆は、よくエリートは我々大衆を虐げているなどとはざきやがる
が、それは逆だ。きさまら大衆が、そのただ一つの武器である集団カをた
てにとってねたみをむき出しにして(あるいは、へんにこねまわしてねた
みを隠しているつもりかもしれないが、エリートの目から見ればそんな化
けの皮はすぐにはがれる)エリートにぶつけているのを忘れているのか。
このほうがよっぽどいやらしい。大衆独特の貧相でじめじめしたいやらし
さだ。線の細いエリートは愚純馬鹿の大衆の無神経さ、無言の敵意等のみ
にくさに圧倒されて駄目になってしまうことさえある。「駄目になる」と
はこの場合、特に自殺を指さない。とにかくエリートの挫折には自分の能
力に限界を感じて、などという理由の他に、大衆の無言、無形の敵意・ね
たみが無意識のうちに重荷になって、という理由がかなりの比重を占めて
いるのである。ところがきさまら大衆は自分達でエリートをねたんで迫害
し破滅させておきながら、その破滅の原因となったエリートの線の細さが
にくわない。なんとなればそれはエリートの特徴の一つだから。線の細さ
は大衆に縁のない上品さにつながるものだから。それが大衆にはおもしろ
くない。そこで彼等劣等人種はどう言うか。
「甘えてたのさ」
「子供だね」
ここまでくると、このみにくさはもう形容する言葉を持たない。現代に
おいて少数派は常に悪なのだ。迫害されているのはエリートじやないか。
医者を例にとってもそうだ。医者がちよっとでも誤診をすれば大げさに騒
ぎたて、大衆は患者の肩を持つ。これは医者が少数派で、金をもうけてい
るエリートだと思って大衆が嫉妬しているからである。そこで医者が少し
でもミスをしようものなら、ここぞとばかりにしつこくあげつらい、高い
慰謝料を要求する。そしてそれが当然だと思っているのだ。この大衆根性
のいやらしさにはおそれいる。「開成高生事件」の時だってそうだ。大衆
は妙に大げさに騒いだが、別にあの事件自体はあれはどまで大騒ぎをする
ほどの事件ではなかったはずだ。それがあんな大騒ぎになった理由はただ
一つ。殺されたのが開成高校の生徒だったからだ。家庭内暴力をふるった
のが開成高校生だったからだ。エリートだったからだ。この事件をダシに
して大衆は「いくら勉強ができたって気が狂ってちゃ駄目なのさ。あはは
は」などと言ってエリートへのねたみをはらそうとしたのだ。大げさに騒
いでエリート批判をしたかったのだ。大衆の家庭でどんなにみにくい嫉妬
の言動がくりひろげられたかは想像するに余りある。そして気の毒なのは
あの開成高校生だ。そしてあの事件があってからしばらくは、まわりの劣
等高校の生徒のさも小気味よげな視線に耐えて登校しなければならなかっ
たであろう開成高校の生徒の人達だ。これはもう、集団の暴力だ。
私は家族にすさまじい乱暴をはたらいたあの開成高校生の気持ちがよく
わかる。彼の家族への憎しみ、そして(これは報道されなかったが)馬鹿
な大衆に対する憎しみが私には自分のもののようによくわかる。彼が両親
に向って叫んだ言葉「教養も社会的地位もないお前ら夫婦が一人前に説教
できるか」からも馬鹿な劣等人種への憎しみが伝わってくる。彼は私と全
く同じ気持ちだったのだ。
彼は、大衆の、エリートに対する無言のねたみ、反感などに対して激怒
していたに違いない。劣等人種、馬鹿、低能に対する憎しみである。そし
てこれがまた肝心なことだが、こういった憎しみ・怒りは大衆のあまりの
みにくさゆえに言語で表現するのが極めて難しいのだ。私もこれまでのこ
とを書くのにかなりの苦しみを味わわねばならなかった。だが私はあの開
成高校生の恨みをはらすためにもそれをやってのけた。あの開成高生は憎
しみを言語で表現しないで家族への暴力という形で表現しようとしたので
ある。彼の次の一見、謎めいた言動もそれを表している。教師が彼に「一
流大学進学がすべてではない」と言ったとき彼は不自然なまでにこう強調
したという。「東大進学の圧迫感なんてない。」これはちょっとみために
は、彼が実は東大進学を重荷に感じていた、というようにとれるのだが、
事実は全く正反対。彼は本当に進学のことなど念頭になかったのである。
家族と大衆が憎かっただけなのである。そのやりばのない怒りを担任に単
なる進学の重荷が原因だととられたのが彼はたまらなかったのだ。自分の
激怒がありきたりの進学問題にとられてしまうのがたまらなかったのだ。
私には彼の気持ちが本当によくわかる。彼は激怒を家族にぶつけた。もう
少し時間があれば彼のほうが両親を殺すことができたろう。ところが彼は
自分の怒りを充分表現できぬまま、彼が心の底から憎みぬいていた父親に
殺されたのである。どんなに彼が無念だったことか。彼の母が自殺した時、
彼は地獄の底で声をあげて笑ったにちがいない。今、私は彼の怒りの分ま
でをここに書きつけているのである。彼がいかに無念のおもいで死んでい
かねばならなかったか、私にはわかる。そして彼の無念の死さえ、彼が憎
みぬいた馬鹿大衆の、エリートに対するねたみをはらすダシに使われてし
まったのである。だが今、私が彼の恨みまではらしてやる。愚鈍で馬鹿で
嫉妬深くて低能で貧相な大衆に虐げられたエリートの激怒の恐ろしさを今、
私が彼に代って大衆に思い知らせてやる。無言のまま死んでいかねばなら
なかった彼の恨みを今、私がはらしてやる、大量殺人という手段によって。
そしてその遺書によって。その開成高生の父母は「勉強を強制したことは
ない」と言っているが私はこの言葉にも激しい憤りを覚える。その通り彼
等は表面では「勉強しろ」とは言わなかったかもしれない。だがそれがそ
のまま強制しなかったことにはつながらない。私の場合と全く同じだ。
「勉強しろ」とあからさまには決して言わない。だがちらっとした目線の
動き、一見なにげなく見える言葉・動作・目つき・まばたき、そういった
ものの一つ一つに無言の圧力がかかっているのである。こういった目つき、
動作による圧力はそれをやる本人も半ば無意識のうちにやっていることが
多いから無神経にも彼等は息子に強制していることに気づかない、いや気
づくまいとする。それで「強制しなかった」があるものか。その開成高生
はそういったことにも激しい怒りを感じたに違いない。こういう怒りも言
葉では表現しにくいものだ。表現しても被害妄想だなどと言いかえされれ
ばそれまでである。なんといっても表面上は全く強制していないというの
が強いのだ。ここでも私やその開成高生の激怒が爆発する。あの開成高生
をああまで追い込んだ責任の一端はこういう両親のあくどさにある。それ
をなにが「なぜこんな子になったのだろう。」だ。ふざけるな!
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