第二章 (7)/9
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「義務の深刻」好みの心理を分析してみると、まことにいやらしい。義務
というものは責任に通じる。つまり「戦争の惨劇を二度とくりかえさない
というのが我々の義務だ」だの「自殺してはいけない。どんなに苦しくて
も生きるのだ。それが人間の義務なのだ。」などという言葉は自分達に義
務がある、すなわち責任があるということを表す言葉なのだ。自分に責任
があると感じるのはいやなものではない。自分が責任を持たされていると
いうことは自分の人格がその責任を負うだけの価値があると認められてい
るということにつながるのだ。しかもこの場合の「責任」とは、いくら深
刻な顔をして騒いでみたところで、果す必要のない責任なのだ。「自殺し
ない」「戦争はよくない」と言っているだけで他に何もする必要がない
「責任」なのだ。
大衆の深刻・厳粛好みが高じると、もっとイヤらしくなってくる。実際
に正しくないことでも、それが深刻な口調・文体で語られただけでそれが
正しいと信じ込んでしまうのだ。それだけでなく一見論理的につじつまが
あわないものを、その非論理性のゆえにかえって深遠な意味があるように
思い込み、深刻・深遠好みからすぐに信じ込み、悟りきったような顔で人
にしゃべってみたりする。たとえば「人間は不完全であるがゆえに美しい。
」などという言葉をよく小生意気な女子学生がほざいたりするが、この言
葉が正しいかどうかはともかく、この女学生の心の底に非論理性=深遠=
高級という公式があるのは確実だ。完全より不完全がいいというのは一見
非論理的だからだ。私が中一の時にこの言葉をいった馬鹿な女の同級生が
いたがこれもその手合いだろう。また深遠好み・非論理好みは次のような
場合にも実にいやらしい表れ方をする。二人の人が哲学的な議論をしてい
て一人が相手に対して論理的に全くすきのない反論をしたとする。すると
もう一人はすこしもあわてず、悟りきったような顔をしてこう言うのだ。
「人間はね、論理でわりきれるもんじゃありませんよ。」あるいは「まあ
どう言ってみてもね、人間は結局は[ ]ですよ」[ ]には何がはいっ
てもいい。たとえば「愛」などという語がふさわしい。さて、これらの言
葉はなにやら論理を超越した深遠・神秘的な響きがあるようにみえる。こ
の言葉を言った人はこの言葉によって論理の追求をのがれ、それと同時に、
いかにも自分が悟りきっているような顔をして相手を見下すような態度を
とろうとしたのである。こんな言葉で論理の追求から逃げようとしても、
この私の目はごまかされない。なにが「結局は」だ。全然「結局」じゃな
いじゃないか。馬鹿。こういう言葉の魅力にも、最近の馬鹿な若者はひっ
かかって自分でそういう言葉をひけらかして得意になっている。この馬鹿
らしさには我慢できない。
大衆のこういった深刻好みと嫉妬がまざるとどうなるか。深刻顔の学歴
偏重主義批判になるのである。だから新聞も自然と深刻な受験戦争批判を
やりはじめる。大衆が喜ぶからである。今度の事件でもあの「開成高生事
件」の時のように深刻な受験批判だのなんだのを喜んで大衆はやるにちが
いない。馬鹿め。
こういうふうに論理的に自分達のみにくい心理を指摘された大衆はどう
いう反応を示すだろうか。自分達のみにくさを認めるだろうか。とんでも
ない。なんとかして自分達を正当化しようとして必死でエリートを攻撃し
てくる。例をあげてみよう。
(1) こちらの言うことを全く無視するか「ああ、そうかそうか」等と言っ
て「ああ、なんとでも言えよ。こっちは気にしないよ。君みたいな子供の
言うことは」といった感じの態度を示す。この相手の言い分をなんでも認
めてやる、という態度は優越の態度である。つまり相手の追求をのがれ、
しかも相手に優越できるというまことにいやらしいやり方である。
(2) 「どう言ったって結局キチガイのたわ言さ」等と言って論理を頭から
無視する。
(3) 私の文の中の小さなミスをとり上げて針小棒大にあげつらい全体の文
をも否定し、無視する。
(4) 「別に不愉快じゃないよ、こんな事件。」などと言って、私が事件を
おこした目的、すなわち少しでも大衆・劣等生を不愉快にさせるという目
的が達せられていないように言い私の起こした事件を無価値と断じて、自
分の不快感を押えようとする。
(5) エリートの中から私に対する反対者を探し出してその人の意見を大げ
さに取り扱い「エリートだって別に大衆を馬鹿にしているわけじゃないん
だ。あの男はただのキチガイだったのさ」などと言って自分達の不快感・
劣等感をはらそうとする。
(6) すぐ忘れてしまう。
等々、きたならしい大衆はいくらでもいいのがれの方法を考えだすので
ある。だが私の起こた事件が大衆にたまらない不快感を与えることは充分、
わかっているので私は痛くもかゆくもない。ざまあみろ。
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