第二章 (1)/9
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第二章 大衆・劣等生のいやらしさ
勉強ができることはそのまま社会で認められることにつながる。「認め
られる」ことを望むのは人間の根本的な欲望の一つである。本能と言って
もいいかもしれない。そして認められた人間に対して認められない人間が
嫉妬するのも半ば本能のようなものである。だから優者に対する劣者の嫉
妬が最も強いのは「勉強」の面においてである。勉強の出来・不出来が、
たとえばスポーツ等と違ってすぐに社会で認められるか認められないかに
つながるからだ。だからスポーツに精を出して強くなったとしてもその人
は特に妬まれはしないが、「スポーツ」が「勉強」に変わると他の生徒は
途端に「点取り虫」などと騒ぎたててその人間をけなし始める。
勉強のできない者、すなわち劣等生は勉強ができる者、すなわちエリー
トをねたむのである。また劣等生を持つ家庭はエリートの家庭をねたむの
だ。エリートは言うまでもなく少数派である。このエリートに対して多数
派の大衆・劣等生はねたみの感情を持っている。嫉妬とは憎悪と密着した
感情である。嫉妬の対象を攻撃したいと、嫉妬する大衆は強く思う。しか
し嫉妬とは極めてみにくい感情であるがゆえに大衆は自分達の、エリート
に対するねたみを必死で認めまいとする。だがエリートは攻撃したい。そ
こで彼等大衆は、なんらかの理屈をふりかざしてエリートを批判しようと
する。こうすれば自分達の嫉妬を認めないで、エリートを攻撃することが
できるからだ。だから大衆は新聞などに「受験戦争批判」「高校間格差批
判」「学歴偏重主義批判」といった記事がのったりすると、わが意を得た
りとばかりに自分達もそう言った理屈をたてにとって少数派エリートを批
判するのである。
嫉妬している証拠に、「受験戦争反対」などと騒がれはじめてからかえ
って受験熱は高まったではないか。受験戦争批判は大衆の心の底からの批
判ではなく、エリートへのねたみから発生したものにすぎなかったのだ。
大衆はエリートを批判している反面、なんとか自分の子供がエリートに仲
間になって欲しい、あるいは自分がエリートの仲間になりたいと思っても
う必死なのだ。「乱塾時代」という言葉もあるが、これも、自分の子供が
言っていない塾に、他の親の子供が行っている、という不安をまぎらわそ
う、うち消そうという劣等生の母親がすこしでも塾のことをけなそうとし
て騒ぎたてた結果、ここまで広まったのである。
このように大衆は自分達の嫉妬にすぎないものを正当化してくれる理屈
にすぐにとびつくのである。その理屈が正しいかどうかなどはもう問題で
はないのである。大衆の間ではただ大多数が支持する意見だというだけで
その意見は「正しい」ことになってしまうのだ。エリートは少数派である。
そしてエリートをねたむ大衆は多数派だ。つまりエリートを批判する理屈
がいかにもそれが正しいような顔で世の中をしゃあしゃあとまかり通るこ
とになるのだ。すくなくとも「受験」に対する社会全体の意見、すなわち
大多数の意見すなわち大衆の意見、すなわち非エリート人間の意見はその
意見・論理が正しいか正しくないかはまったく別として、大衆のエリート
に対するねたみから成り立っていると断言できるのである。
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