第二章 (5)/9
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思春期には自意識が急に強くなり同時に他人に対する優越欲も強くなる。
ということはつまり嫉妬心も強くなるということだ。電車の中などで三流
高校の生徒が我々名門高校生に向ける敵意の眼差し、あるいはことさらに
無視してみせた態度はこの嫉妬心から出たものである。我々エリート校生
は馬鹿高校のひがみに気づいているから陰であざわらっている。アホ高生
徒はエリート校生批判の投書がのったりするともううれしくてたまらない
のである。そして新聞は当然学歴偏重を批判するもの、すなわちオレタチ
の味方だ、と思い込む。この前、ある名門校の生徒がスポーツの試合の最
中に「くやしかったらT大入ってみろ」と言ったのがよくないと言って新
聞に投書してきた劣等高校の生徒がいたが、彼はなぜ新聞にこんなことを
書いてきたのか。この心理を分析してみれば、進歩的な受験批判をしてい
る新聞だから自分の味方になってくれてこの投書をとりあげてくれる、す
なわち認めてくれるにちがいないとこの劣等生がたくらんだからと言えよ
う。つまり新聞を劣等生のひがみを正当化するために使ったのである。エ
リート高生に馬鹿にされたくやしさをはらそうとでも考えたのであろう。
あれがひがみでなくてなんであろうか。「T大入ってみろ」は単なるヤジ
にすぎないではないか、それを妙に深刻にとらえ新聞に投書までしてきた
のは、つまりT大=勉強=社会的地位というふうな等式が成り立って、そ
れまでその劣等生が持っていたひがみに火がついたからだ。そしてこの劣
等生は前から「受験戦争反対」だの「頭が良くても人間として駄目なら駄
目だ」などという自分に都合のよいへ理屈ばかりを読んで信じ込んでいた
ため、自分の単なるねたみにすぎない感情を妙に深刻にとらえてみせ、そ
してそれを新聞にとりあげてもらうことによってなおさら正当化し、自分
の劣等感を解消し、それだけでなくねたましい名門校生を新聞を使ってけ
なし、ウサをはらそうとしたのだ。「T大云々」は単なるヤジにすぎない
のにそれを急に深刻にとらえたのはこの劣等生が相手名門校にねたみを持
っていたからに間違いない。前にも書いたようにライバル意識旺盛な思春
期に名門校と劣等校がぶつかればそこには必ず優位と劣位が生まれる。つ
まり嫉妬が生まれるのである。とにかくこの劣等生のねたみまみれの心理
のいやらしさは筆舌につくしがたい。これはもう劣等生などではなく劣等
人である。そしてこの劣等人の投書を読んだ他の劣等生はどう言うか。
「ソウダヨナ。アイツラヨクナイヨ」などとしたり顔で言うのに違いない。
この投書をした劣等人はそういう仲間と新聞を通じてつながり、その仲間
を使って、大多数劣等生及びその家族、すなわち大衆の集団のカで少数エ
リートを単なるひがみのためにけなそうとたくらんだのである。どこかの
家庭の父親が、わけ知り顔で、こんなことを言うかもしれない。「ヤジだ
ってね。言っていいことと悪いことがある。」馬鹿野郎。ヤジはヤジだ。
それがいくらてめえら劣等人種の胸に突き刺さったとしてもそれはそのヤ
ジが悪いのではなく、ねたみにこりかたまったきさまらが悪い。結局はお
まえらがみにくいのだ。ひがみ根性がなければ「T大入ってみろ」のヤジ
だってただのヤジとしかとらえられないはずだ。ところがきさまら劣等人
はこのヤジを聞くなりシュンとなったんだろう。これは、おまえらが相手
名門校に対して劣等感を持っていたという証拠ではないか。ねたんでいた
という証拠ではないか。どうだ劣等人種ども、なんとか言ってみろ。どん
な反論をしてきたって結局はおまえらがねたんでいたんだということに変
わりはないのだ。だいたい名門校のエリートに向って変な理屈をつきつけ
てくるとはどういう神経だ。きさまら、我々エリートに理屈で勝てるとで
も思っているんじゃないだろうな。思い上がるのもいいかげんにしろ。
(「おもいあがる」という言葉はこのように使うのが正しい。)私はわか
っている。その名門校生のヤジは相手劣等校生の自分達に対するみにくい
ねたみを見抜いた名門校生がそのみにくさに腹を立てて、劣等人種の心に
突き刺さるようなヤジを考えだしてわざとさけんだものなのだ。まことに
すぐれた読みだと言わねばならない。エリート同志、こういう気持ち、す
なわち劣等高生の名門高生に対するねたみのみにくさへの激怒の気持ちは
実によくわかる。今回特にいやらしかったのはその劣等人間が自分の理屈
は正当なのだということを、自分の投書を新聞にのせることによって確認
し、満足しようとしたことである。ねたみを正当化するために、普段から
学歴主義批判をしている新聞、この劣等人間がオレノ味方ダと思っていた
新聞を利用するとはなんと汚ならしいやり方であろうか。そしてこの劣等
人の、自分の投書が新聞にのったと知った時の満足した顔、またこの劣等
人が学校で他の劣等者達から「英雄」にまつりあげられているところを想
像しただけで私は吐き気がしてくる。とにかくいやらしいのはこの劣等人
の心理構造だ。普段から「エリートは思い上っている」などという文を読
んで満足していたこの劣等人は「くやしかったらT大入ってみろ」と聞い
たとたんに「エリートの思い上り」に短絡的に結びつけて、「あっ!この
生徒は思い上ってる。新聞に投書してやろう」と思ったのだ。なにが「エ
リートの思い上り」だ。そんなものはきさまら劣等人種がエリート憎さの
あまりかってにでっちあげたものなんだ。「くやしかったらT大入ってみ
ろ」と聞いて「あっ。こいつはいけないことを言った。」と思いこんだこ
の劣等人は普段からエリートへのねたみを認めまいとして「エリート批判」
にすがりついていたのだ。
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